「テレビ各局は、国民投票法についてあれこれの否定的論評をするくせ、肝心のこういった会合にはいつも姿を見せず、議論の実態を正確に伝えようとしないのはよくないっ。」(趣旨)―20日午後2時半から東京・新宿で開かれた「国民投票法(憲法改正手続法)と国民主権を考える」と題する公開討論会で、最後にこの会合の仕掛け人であるジャーナリストの今井一さんが熱弁を奮った。日本各地や各国の住民投票などを徹底して取材し、憲法国民投票法についてたった一人といってもいいほどの論陣を張ってきた人の言葉だけに重みがあり、私も同感だ。


 ところで、公明党ほど憲法をめぐる議論で鍵を握る存在はないように私には思えるのだが、なかなか注目されない。実際、こういった討論会で、改憲、護憲の両派は双方で非難しあっているものの、加憲や論憲の公明、民主はあまり責められない。責められるのは私も好きではないのだが、いつも等閑にされており、これはまたこれで辛い。例えば、憲法9条で解釈改憲がなされてきているのはとんでもないといった主張がある。あの湾岸戦争いらいPKO法案の成立に始まり、周辺事態法やイラク派遣など、日米同盟の絆のもと国際政治の現実に責任をもとうとする努力は、やむをえぬ決断として選択してきた。自民党との連立下で、公明党がノーといえば進まなかったものばかりだ。にもかかわらず、公明党ってとんでもないとの攻撃は少なくとも私は受けたことがない。


 護憲派からすれば、かつて同じ陣営にいた公明党が、部分的とはいえ、改憲につながる加憲に踏み切ったのに、おかしいではないかとの非難もない。逆の立場なら、私など攻撃するのに、と。9条改憲はしないという選択で、共同戦線を張ろうとけしかけても、彼らはのってこない。ただ頑なに一字一句たりとも憲法の明文は変えないとの路線に固執している。これでは、結局、時代遅れの堅物そのものとしかいいようがない。