故郷に錦を飾ったつもりだったが? ④ | akm48

akm48

akm48  ず~っと勘違いの人生で〜す

勘違いはお笑いの原点、悲しみの原点、成功の原点、失敗の原点

多田清氏は末っ子であったため母親に可愛がられ、母親の言葉がすんなりと心に刻まれた。
勝山の代々続く庄屋、それも苗字帯刀を許された羽振りの良い家柄に生まれた。
母の実家も並外れて良い家柄で、そこから嫁いできた。
父は苦労知らずで借金の保証人になったり事業の失敗で代々受け継いだ豊富な山林や田畑をすべて散財し、逃げるようにして大阪に移り住んだ。
母親の嘆きは大きく「いつかは昔の繁栄を取り戻して欲しい」と清に語っていた。
これが、清の精神的バックボーンになったのだな。

清は「生活を安定させることが先決」「早く楽な身分になりたい」との思いから、小学校を卒業すると、早くも丁稚奉公に出て、「少しでも身入りのいい職場を」と職を転々とした。
また、少年ながら、労働条件を冷静に判断することもしたという。
ある雑穀問屋で、「丁稚入用」という貼紙を見つけた時は、こう考えた。
「店の店主はクリスチャン。それなら、毎週日曜日にミサについていけば、他の職場よりも多く休みがとれる。多く休みが取れれば、実家に帰って友達と会ったり、本屋に行って将来のために勉強したり、自分の時間を持つことができる」。


雑穀問屋の丁稚として働き始めた清は、早朝5時半に起床。
そこから店を開いて、店回りの掃除を行い、朝食を摂り終わると、今度は大八車にモチ米や小豆を積んで得意先に配達するという忙しい毎日を送る。
生来、仕事熱心なだけに、ほどなくして番頭の代理として得意先のセールスも任されるようになり、行く先々で「働き者」として評判も立つようになった。

ここまでのキーポイントは
①労働条件の視点を持った
②仕事熱心で「働き者」
③仕事熱心は他人から評価されるくらい


そんなある時、得意先だった餅菓子屋の店主から、清は思いがけない申し出を受ける。
「あんた、この店をやってみる気はないかね。あんたは若いが、なかなかのしっかり者だから引き受けてくれないか」。
清ははじめ逡巡した。だが、自分に自信がないわけではない。それに、店は小さくても一国一城の主(あるじ)は魅力的だ。
「多少の不安はあるが、店はやり方次第でどうにでもなる」。
そう意気込んで、清は店主の申し出を引き受けた。話を聞いた両親も餅づくりに加わり、一家総出の菓子屋がスタート。

かくして 18 歳の店主が誕生した。
ところが、清にとって、餅づくりはおろか、商売さえも始めての経験。

そう簡単に商売が軌道に乗るはずもなく、店の経営は苦難の連続だった。
なかでも同じ町にある同業者の繁盛ぶりは、清の店に多大な影響を与えた。
清はライバル心を燃やし、饅頭を大きくして売り出したものの、お客が増えれば、今度は店の経営が赤字を強いられるという悪循環。
「ライバルの饅頭とウチの饅頭は、何が違うのか?」。
清はライバルの饅頭を買ってきては、徹底的に分析した。
そして、繁盛しているライバル店との違いは饅頭にあるのではなく、店そのものにあると気づいた。
ライバルの店はもともと目立つ場所にあるうえ、店は北向き。
自分の店は南向きで、飾り棚にカンカン日が当たると、饅頭が腐ってしまうので、仕方なく日除けをかけている。その日除けのおかげで、自慢の商品がお客に見えにくくなっていたのだ。
清はさまざまなアイデアで店を繁盛させようとしたが、結局、店は閉店せざるを得なかった。だが、1年半という短い経験で、「饅頭に限らず、どんな商売でも地の利を得なければ成功しない」という教訓を痛いほど実感した。

④商売には「地の利」を得なければならない。

菓子屋の店主を辞めると「事業を興すには、まず資金を貯めなければいけない」。
そう考えた清は、職種を選ばす、自分の体を酷使して働き始めるようになる。

タバコの原料工場での荷物運搬、運送会社での日雇い労働…。
さらには、 20 歳で広島の電信隊に徴兵されてからも、2年間の軍隊生活を少しでも有益なものにしようと、厳しい軍隊訓練のかたわら休日を利用して働いた。
しかも、働きに出た先は、大阪港の港湾労働。
彼は毎週土曜日に、訓練で疲れた体に鞭打って夜汽車に乗り、広島から神戸まで出ると、またそこから大阪港に来て、沖仲仕の荷役労働を丸1日こなした。
沖仲士と言えば、肉体労働の中でも最重労働である。
鉄屑や石炭、米などの重い荷物を担ぐと、両肩の皮膚はすりむけ、紫色になって腫れ上がった。普通なら、何日かすると体も慣れてくるものだが、清の場合は週に一度の労働だけに、毎回、初めての時のような辛さがある。それでも弱音を吐かず、毎週日曜日になると、清は港に姿を現したのだった。
やがて、常人では成し得ないその逞しさは、巷の噂になった。「働き者の兵隊さん」「親孝行の兵隊さん」と噂が噂を呼び、ついには地元の中国新聞が清を写真入りで報道した。
この美談に、普通なら軍規にふれるであろうアルバイトも黙認され、さらには隊長から「多田、貴様は軍の誇りだ」と表彰状さえ送られるに至った。
とにかく人が驚く位の働き者で、その仕事ぶりは他人が驚き称賛する程であったな。
僕みたいに口先だけではなかった。


*キーポイント①、キーポイント②

しかし、清は肉体を酷使する働き者だけではなかった。
軍務のかたわら、勉学に励み、自動車修理の免状と運転免許まで取得したいたのだ。清は除隊すると、早速、地元の大阪・市岡にある相互自動車(現、相互タクシー)という小さなタクシー会社の一運転手となる。


⑤勉強熱心である。
 

*大阪商工会議所(KIGYOKA-ingの事業主体)から引用

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

 

〇柳 児 

  眼をおおう 教員・警官 スキャンダル

    *昔もひどかった
     教員や医者も宿直があったからね
     教員は教え子、医者は看護婦・・・・・
     真面目な人も多かったがひどい人も多かった

  教員が 卑劣な犯罪 おぞましい
    *教員ばかりでなく世の中は治まらない

 

〇小 彦
  世の中で 夢と平和は 願っても駄目

    *願ってなるなら世の中宗教だらけ

     エセ宗教どうしの宗教戦争勃発

  崖っぷち 気づかないまま ティタイム

  夢の島 あとはのとなれ やまとなれ

    *失われた野生、覆う平和ボケ

     直感力が多くの学者・政治家の理屈より閃く

     のと(能登)はおきざり、やまと(奈良)は調査せず

 

〇リタイアボケじいさん

  近頃は 足の爪切り 難儀やな
    *死後の世界は箸が1m以上で長い

     地獄では長い箸で食べようとすると食べれない

     隣の人とぶつかって喧嘩する

     極楽では長い箸で他の人に食べさせる

     遠くの人が自分に食べさせてくれる

     人の足の爪切りをしてあげることじゃ

     

〇忘己利他老

  醜男が 日本の祭りで 男前
  編笠で 大和撫子 色っぽく 

    *昔は祭りの後は出産ブーム
     祭りの解散場所を選ぼう

     ラブホテル街や海岸の松林、神社の裏

 

ーーーーーーーーーーーーーー