ヴェノナ文書で歴史が変わる ⑫ | akm48

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◇第6段階
スティムソン元国務長官を利用したロビー活動

 

 

画像鮮明でなく付け足しだと思ってくれればいい。

1937年12月から翌年の1月、日本軍占領下の南京にいたジョン・マギー牧師は、戦地の模様を映画フィルムでひそかに撮影していた。このフィルムは、中国国民党の顧問だったティンパーリの指示「侵略された中国」と題して編集され、YMCAによる中国支援・日本非難キャンペーン用の映画としてアメリカ各地で上映された。


この映画を南京からアメリカに持ち出したのが中国YMCA主事ジョージ・フィッチで、彼は38年4月、首都ワシントンDCにおいてヘンリー・スティムソン元国務長官や、スタンレイ・ホーンベック国務省極東部長ら要人と会見している。何のために? 恐らくルーズヴェルト政権に対するロビー活動を行う組織の創設について相談したのではなかったか。

なぜならフィッチらが発起人となって38年8月、ニューヨークにおいて「日本の侵略に加担しないアメリカ委員会」が設立され、対日禁輸措置の実施などをアメリカ政府に求めるロビー活動が大々的に始まったからだ。

☆ジョン・マギー牧師が密かに撮影していたという戦地映画フィルムはマギーフィルムと俗称される。
中国政府が世界の記憶遺産へ申請し、2015年登録された。アホな話である。
☆東京裁判(極東国際軍事裁判)ではマギーは南京事件の証人として証言台に立ち、日本軍による殺人、強姦、略奪事件について、被害者からの直接聴取、自ら行った被害調査などを基礎に証言を行ったが、マギーフィルムが証拠として提出されることはなかった。

またまた、話はそれるが東京裁判(極東国際軍事裁判)でのマギー証言である。

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○ブルックス弁護人 マギー証人、それでは只今の御話になつた不法行為若しくは殺人行為と云ふものの現行犯を、あなた御自身幾ら位御覧になりましたか。

●マギー証人 私は自分の証言の中ではつきりと申してあると思ひますが、唯僅か一人の事件だけは自分で目撃致しました。
 注)日本兵が、民間人に化けた中国兵の掃討作戦をしているとき、不審な中国人をみて身元を尋ねると急に逃げ出したので、撃ったというもの。これは合法的なもの。

○ブルックス弁護人 強姦の現行犯を御覧になつたことがありますか。若しあるとすれば、それは幾つ位でありますか。

○マギー証人 私は証言の中に申して置きましたが、一人の男が実際に其の行為をして居つたと云ふこと、それからもう一つは、二人の兵士が十五歳になる女の子を「ベッド」に連れて行つて居つたと云ふことも証言で申して置きました

○ブルックス弁護人 それはあなたの仰しやるのは、二つの現行犯であるのか、其の中の一つが現行犯で、片方は未遂犯なのでありますか。

○マギー証人  私が見ましたのは、一人の男が実際に強姦行為をして居つたのであります。もう一つの二人の男と云ふのは、女の子と寝台に横たはつて居つたのでありますが、其の父親が云ふには、私が其処へ行きますより既に前に強姦して居つたと云ふことであります。
注)二人の男は伝聞である。
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このフィルムは、のちにジョージ・アシュモア・フィッチらが1938年1月に上海へ持ち出して4セットのコピーを作製し、それらのうち1セットは南京ドイツ大使館にいたナチスドイツ外交官のゲオルク・ローゼン博士によってベルリンのドイツ外務省に南京の惨状に関する詳細な報告書を提出した。ローゼン報告。
同年4月に渡米したフィッチはロサンゼルスを皮切りに全米各地で映写会を開いて日本軍の蛮行を訴えることに使用し、渡米の主目的であるワシントンでは国務次官のスタンレイ・ホーンベックをはじめ下院の外交委員会、戦時情報局などの要人、新聞記者などの報道関係者にもフィルムを見せている。このフィルムは、1938年5月16日の「LIFE」誌においても紹介された。
國民新聞によれば、マギーフィルムは、大半が戦争の一場面として病院で中国人が治療を受けている姿であり、「大虐殺」の証拠とはいえず、ローゼン報告も日本軍が南京入城する一週間前に上海に脱出していたローゼン政務書記官がまとめたものであり、同書記官の証言は目撃証言ではなく根拠をもたない、と主張している。

元に戻ろう。

アメリカ委員会設立を最初に言い出したのは、ハリー・プライス元燕京大学教授だった。彼は弟フランク・プライス(在中宣教師)と共に、ニューヨーク地域在住の友人たちに呼び掛け、対中軍事援助の実施や対日経済制裁を求めるロビー団体の必要性について相談した。
さらに国務省極東部長ホーンベックと会見し支持を得た。

国務省の支持を得たプライス兄弟は、「奇跡の人」で有名なヘレン・ケラー女史、元在中国外交官のロジャー・グリーン、元在中宣教師マックスウェル・スチュアート、雑誌「アメラジア」編集人フィリップ・ジャフェ、YMCA中国事務局長ジョージ・フィッチ、女性平和団体「戦争の原因究明と解決策創出のための全国委員会」代表のジョセフィン・シェイン女史などと共に1938年7月、ニューヨークにおいて「アメリカ委員会」を設立した。

このようにキリスト教関係者を前面に出しながら、その実態は中国国民党の工作員とアメリカ共産党関係者によって構成されていたアメリカ委員会は、『日本の戦争犯罪に加担するアメリカ』と題したブックレット(A5判サイズで80頁)を6万部、『戦争犯罪』と題したパンフレットを2万2千部作製し、連邦議会上下両院のあらゆる議員やキリスト教団体、婦人団体、労働組合などに配布し、大々的なロビー活動を開始した。

このロビー活動を受けてルーズヴェルト政権は、中国支援へと舵を切っていく。ホーンベック国務省極東部長の進言を受けてルーズヴェルト大統領は1938年12月、「対日牽制の意をこめて」、中国国民党政府に2500万ドルの借款供与を決定したのである。

アングロサクソンやチャイニーズは罠を仕掛けるのがうまくて、日本人はいつも罠にはまるな。

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ちょっと〜
相手してよ〜