尾形光琳の「紅白梅図屏風」はエロすぎや!! | akm48

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友人のA君から面白い記事があると言って送って来た。

「美の艶話 vol2」
尾形光琳筆「紅白梅図屏風」
女一人男二人の「別解釈」 板橋区立美術館元館長安村敏信

尾形光琳の「紅白梅図屏風」は光琳晩年の作で国宝に指定されている。




いいねえ〜。
真ん中に水流が模様化されていて、右に曲線的な紅梅、左に直線的な白梅を配している。
水流の波紋は後に光琳波と呼ばれて工芸意匠に多用されているという。

この屏風は何を表そうとしているのか。
いろいろな説があるのだが、驚くような解釈をした人がいる。


中央の水流は、光琳が手をつけた奉公人「さん」の女体で、仰向けにのけぞった顎から胸の線が左で、右はおおきな尻だと言う。
左の白梅は光琳で、その枝は手のように肘をまげて乳の先をまさぐっている。
そして、樹根は恥骨をたたきながら「どうだ、俺のは太くて固いだろう」と得意がっている。
右の紅梅は、光琳のパトロンであり愛人でもある銀座役人の中村内蔵助で、後ろから襲いかかろうとするところを大きな尻でドンとはね飛ばされたため、驚いて両手をあげ、いちもつが勃起したまま突っ立っているところだと言うのだ。

なるほど、なるほど、そやな〜、そう見えるわあ!
安村敏信は、この解釈は一度知ってしまうと、どんなに記憶をリセットしても、そう見えてしまうので注意が必要だとしている。
この解釈は、ポルノ作家などではなく神戸大学教授も務めた美術史研究者小林太市郎であるという。


光琳は京都の裕福な呉服商の次男に生まれた。その私生活は、30歳の時に妾に男児を産ませて以降、40代初めに正妻多代を迎えるものの、55歳以降に妾あやとの間に男児2人をもうけている。
光琳は6人の女性に7人の子供を産ませたという。
このうち、元禄9年に雇ったのが奉公人「さん」であり、光琳の魔手が伸びて元禄13年に辰次郎を産ませている。
この子は銀座役人小西彦九郎の養子になるのだが、その仲介をしたのが中村内蔵助だという。
光琳は元禄14年から3月から翌年6月まで江戸に行っていたが、その間、「さん」を内蔵助に貸している。


内蔵助が光琳の愛人であることは疑う余地はなく、二人は衆道(ホモ)の関係にあった。
「さん」はその後、光琳が茶人松田家に嫁がせた。
光琳と内蔵助になぶられている裸身の姿を屏風に描いたものを嫁入り道具としてもたせたという。
茶人の松田はこの絵に何が隠されているのかを知らず、その華麗で装飾的な造形美に大いに感嘆して有難がったという。アホや。

小林太市郎の解釈がオーソライズされているわけではない。
しかし、あってもおかしくない説であるな。
こんな話を聞くと芸能界の話などかわいいものである。