Caroline Bouvier Kennedy 

 

 

 米国のケネディ元大統領の長女であるキャロライン・ケネディ駐オーストラリア米

 

大使(65)が、第2次世界大戦中に米海軍将校の父親が指揮していた魚雷艇が

 

旧日本海軍の駆逐艦によって転覆させられた南太平洋のソロモン諸島近海を訪れ、

 

追悼の遠泳に挑みました。

 

 

 

 

魚雷艇が攻撃を受けた後、元大統領は乗組員13人のうち生き残っていた11人を

 

集合させ、約5.6キロ離れたプラム・プディング島へ泳ぐよう率先しました。

 

この島は現在、ケネディ島と呼ばれている。

 

Kennedy Island (Plum Pudding Island)

 

 

大使が今回泳いだのはヤシの木がある浜辺を持つ小さな島二つの間の約1.2キロ。

 

約30分かけて泳ぎ切りました。自身の息子も同行。

 

 

大使は「父親や乗組員の英雄的行為への評価を新たにした」と米大使館のXの

 

アカウントに記しました。

 

息子は「祖父を大いに称賛している。その根気良さが生存につながったに違いない」

 

と記しました。

 

 

元大統領指揮の魚雷艇が駆逐艦に襲われたのは1943年8月1日早朝。

 

ケネディ大統領図書館の資料によると、元大統領と乗組員はその後、食料と救援

 

を求めるためオラサナやナルの諸島に泳いで渡りました。

 

元大統領はこの2島の間を複数回往復したと言われています。

 

キャロライン大使が今回泳いだのも2島の間。

 

John Fitzgerald Kennedy(米国第35代大統領)and Joseph Patrick "Joe" Kennedy, Jr.

 

 

元大統領と乗組員は結局、連合軍に協力していた島民2人とで、米海軍との連絡を

 

取りました。米海軍の保護下に戻れたのは船体が木造だった魚雷艇を失ってから

 

1週間後の同年8月8日でした。

 

 

元大統領にこの後、勇気と指導力をたたえた海軍・海兵隊の勲章が授与されました。

 

 

キャロライン大使がケネディ島で行った演説の会場には、元大統領らの救出に尽力を

 

した島民2人の家族も来られました。

 

 

 

大使は演説で以下のように語りました。

 

「息子と私はあなたたちの父親が80年前にしてくれたことに個人的な感謝を示す

 

ことを名誉に思う」

 

「私の父の命は危険な事態を招きかねなかったかれらの勇気や意欲、自由のための

 

戦いでの母国への奉仕の気持ちに救われた」

 

「ソロモン諸島は自分の心の中に特別な場所を占めている」

 

「この地はケネディ大統領を男性として成長させた」

 

「彼が最初に指導者としての責任を体験し、乗組員の命と安全は彼自身にかかって

 

いることを痛感した場所だった」

 

「他人を助けるために自らの命を犠牲にした。これは彼の一生を貫く信条とも

 

なった」