社会人2人、大学生1人、旦那1人を持つアラフィフ主婦です。少し前に念願叶い専業主婦となりました。

ずっとパートと子育てと家事とで追い回された日常から解放されても悩みは尽きない。

そんな私のありきたりな日常や愚痴などなど。


こんにちは、あかまと申します指差し飛び出すハート

ご訪問ありがとうございます。


韓国ドラマ、トッケビを全話見終わり、ピュアな気持ちもある程度抜けたので、間が空きましたがこの間の続きです。


次女が生まれて3ヶ月後にパートを始めました。

早くね?って思われますよね。

あの頃はバブルがハジケたあとで不況の波がじわじわと旦那の仕事にも影響してた時期で、少しでも家計の足しになればと始めました真顔


乳児の保育園料は、今はどうか知りませんがめちゃくちゃ高かったんですあんぐり

仮に入園できたとしても正直、保育料だけでパート代がほぼ消えてしまい、何のためにパートに出てるのか分からなくなります。

ですので、私は次女が小学校に上がるまで深夜のパートに出ていました。

これだと上二人の学校の行事にも参加出来ますし、学校から帰ってくる子供達にも淋しい思いをさせずに済みます。学校の長期休暇の時も問題無いですし、病気をしても旦那にお願いして仕事も支障なくこなせますし、日中の病院にも通えます。

ただ、やっぱりかなりハードでしたニヤニヤ

若かったからできたんだと思います。

正直、毎日どうやってこなしてたかも思い出せません。

ただ覚えてるのは、毎日眠かったって事ですふとん1ふとん3


一番可愛いかった時期の子供達の姿を、ぼんやりと見過ごしていた自分が、今思えば最大の後悔ですかね真顔


でも、あの時はそれが最善な方法だと自分なりに家族の為に頑張ってた時期なので、しようがないですが真顔


話しのはじめはコチラから下矢印



ちょっと件が長くなりましたが、そんな頃に上二人がPTA役員のプリントを持って帰ってきました。

いつもなら大事なプリントや提出しなきゃいけないプリントは失くさないように冷蔵庫のドアにまとめてマグネットで止めてるんですが、多分、ボーッとしてたんでしょう。私はそれを要らないプリントと一緒に捨ててしまったんです驚き


あの時プリントで次女の育児と深夜のパートをしている理由を免除申請できていれば、もしかすると申請が受理されてたかもしれません。けれど破棄してしまっていた私に長男か長女、どちらかは忘れましたが学校から茶封筒をもらってきて私に渡しました。


それがPTA役員決定のお知らせでしたガーン

小学校は推薦方式で保護者全員の名前が円グラフ中に区切られて書いてあり、誰を推薦するか〇をするってやり方でした。


「えっ無気力」て思いましたが、プリントを子供達からもらい目を通した記憶が確かにある……後の祭りなのに、あちこち探しましたが貰ったプリントはとうぜん見つからず、その時になってはじめて間違って捨ててしまったかも…と気付きました真顔


まあ、決まってしまったんじゃしょうが無い。考えようによっては終われば1年免除になるからな。そう自分に言い聞かせて眠い目を擦りながら、まだ1歳に満たない次女をベビーカーに乗せて初めての役員集会に向かいました。