最初の医療ミス | 慢性疼痛とCRPSの激痛との闘い毎日が地獄

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顎骨骨髄炎の後に残る激痛の闘いCRPSと、顎を切除した後遺症で咀嚼障害で噛まなくて良い物しか食べら                   れなくなり身体障害者に。その記録です。
最近は名言や心に響く文章も書いてます。災害についても色々書いてます

過去のブログにも書いてますが最初の医療ミスはかなり酷い物でした。骨髄炎では腐骨を搔爬しなければならないのですが、その医師はただ開いて神経を傷つけただけで40度の高熱と激痛があるのに手術から僅か2日で強制退院させられました。痛いと言って通院しても 君はロキソニン中毒だと言うだけで一切口の中をみてはくれませんでした。2カ月後にやっと手術してくれる病院が見つかり手術してもらいましたがとても2カ月前に手術したとは思えない程の腐骨があったと言われました。東京に戻りそれを言いに病院に行きました。医療ミスの裁判も考えましたが弁護士さんから医療裁判は死んでも勝てないケースが多いし費用と時間が凄くかかると聞いて泣き寝入りするしかありませんでした。その後、あらゆる口腔外科に行きましたが 受け入れてくれる病院はなかなか見つかりませんでした。2度目の手術は滋賀県で受けた為、通院は困難で都内で探すしかありませんでした。ここが駄目ならもう死んでしまおうという気持ちで行った大学病院で凄く良い先生に出会う事ができその先生に手術をしてもらいました。その先生には君の顎はガラスのような顎で今まで診てきた患者さんの中でも一番小さな磨りガラスのような顎だと言われました。そして顎骨骨髄炎は痛みの残りやすい病気で自殺する人も多い自殺病とも言われました。私が両親もいなく一人暮らしだった事も考慮してくれて最初の入院は4か月近い入院でした。最初にこの先生に手術してもらえたら治っていたと思います。とにかく最初の医療ミスで人生台無しになりました。ロキソニン中毒と言ってきたり40度の高熱の中、強制退院。そんな私をかわいそうに思ったのか若い医師が神経をかなり傷つけたかもしれないと私に言ってくれました。最初の手術の時点で顎骨の神経はかなり傷付いてしまい痛みが残ってしまった。22年前の5月の時点で私の痛みは一生物になってしまいました。トリプタノールという抗うつ剤が神経の痛みや脳の誤作動による痛みに効くのでトリプタノールも山ほど飲みました。でも私には効きませんでした。ずっと医療ミスした医師を憎みながら生きてきましたが憎んでも元に戻れる訳では無いし人を憎みながら生きているのが嫌で憎しみの感情は捨てました。凄く憎んでいたのに今では名前を忘れました。誰にでも間違いはある。ミスした医師は骨髄炎に詳しく無かっただけ。よくある病気では無いので症例も少ないからきっと私が初めての骨髄炎患者だったのだと思います。