こんにちは、
アニマルコミュニケーターのあきですあしあと






瞑想中に神様について
教えてもらったことがあるので
書かせてもらいます。


そもそも
神様って誰なんでしょうね?


仙人みたいなおじいちゃん?
イエスキリスト?
神社の神様?
ただの光?

人によって色んなイメージがありますね。



神様を認識したいって思ったら
映像のイメージが欲しくなりますね。




でもね、
もっとかんたんだったんですよね
神様の正体って。



第三の目を開かないと
出逢えない〜
とかそんなこと全然なくて。




神様は在り方だったんです。




在り方って言葉で伝わるのか
わからないのだけど、
言葉にするならそうなるんじゃないかな。






「わたしはなんで
生まれてきたんですかー!
何がしたかったんですかー!」


って神様に聞いてみたんですよね。




そしたらね

「愛したいから」

って返ってきた。




今まで散々、

自分ってなに?
何で生まれてきたの?
使命があるなら早く知りたい

って一生懸命一生懸命
どこに答えがあるの

どこかにヒントはないの

って探し求めてきたのに、
たったそれだけだった。





それと同時にビジョンが視えてきて

人と人とが愛し合うのは
そこに神が存在するから

って映像だった。



愛し合うために現代には
結婚っていうシステムがあるらしい。



誰かを
何かを想っているとき

愛しているとき

それはあなたは
あなたなんだけど神で在る瞬間。




だから、
誰かを大切に想うことができる人は
神様をもう知っている。



その愛に包まれている状態
その感覚こそが神様。




その対象が
人であっても
動物であっても
物であっても
景色であっても


心に愛が在るなら
あなたは神様。



本当はいつでも神様なんだけど
自我が思考するのに忙しくて
いつもは忘れてる。


でも愛を感じる時
神様も思い出される。




だから
あなたはいつでも神様になれるし
いつでも神様なのだけど

それは全然偉いことではない。


みんなが全て全員神様だから。


みんな同じ。

役割が違うだけ。




わたしは特別
俺はすごい

そんな自分だけが選ばれた人間なんだと
偉ぶる人がいるならばそれはお門違い。



みんながすごいし
みんなが普通。







それってすごく面白いですよね。



本当の正体は2人とも神様なのに

1人は男を演じて
1人は女を演じて

喧嘩して泣いたり
愛し合って笑ったり


本当は同じ存在なのに
別人になりきって愛す事をしてる。


でもそれってすごく幸せなこと。

愛することに限度はなくて
自分はこんなに愛せたのか

自分の中には
まだまだこんなに愛があったのか

ってずっとずっと
更新していけるから。


その道のりを楽しむことが
人生ってもの。





その人生にこんなに
愛を教えてくれる動物たちが
いてくれることが

わたしは
とてもとても幸せだと感じます。




愛し放題で生きていきましょうね〜照れ