こんにちは、

アニマルコミュニケーターのあきですひまわり





今回は、ボランティアをした方がいいんじゃないか?

自分より苦しんでいる存在がいるんだから、何かしないと罪悪感で気持ちが辛い。



なんて思ったりする方に向けて書かせてもらいます。





わたしが実際にボランティア活動をしてみて、感じたことを読んでもらえたらと思います。






最初に書いた通り、わたしは、自分が多少無理をしてでも、もっともっと苦しい想いをしてる存在がいるのだから、自分ができることはするべきだと思っていました。

そして実際に、仕事が休みの日には活動に参加して、寄付や支援物資の提供もさせてもらっていました。



というのも、動物さんの処分やしょく肉など、動物さんには苦しい仕打ちを人間が沢山しているから、自分の心が苦しくて、その罪悪感とのバランスを取るために善い行いをしたかったのだと思います。



わたしが参加させてもらったのは、保護施設のわんちゃんたちのお世話をさせてもらうボランティア活動です。



参加前のわたしは、動物が大好きで、心のあたたかい人たちの集まりなんだろう、などと想像して当日向かいました。



現場について見てびっくりしたのは、あたたかい空気なんてどこにもなかったことです。

代表者の方、時間があれば参加している方、などでそれぞれ違うものの、なぜか全体的に擦れた空気が流れていました。



それはもちろん、一秒一秒は命を守ることとの戦いのような場所です。

しかし、だからといって、参加している方たちの心まで犠牲にしなくていいと思うのです。



わたしも、動物にとって生きやすい幸福な世界を、と願っていたときに、あまりにもゴールの見えない世界に、生きていたくなくなったことがありました。

なんでこんな悲しいことばかりの世界で生きていたいと思えるんだろう?と思い、生きて行く希望をなくしかけたことがありました。



でも、自分がいてひとつでも命が救われる可能性があるなら、逝くことは無責任だ、と思うことができて、いまこうして生きています。




ボランティアの現場で感じたのは、そんな自己犠牲の念や、

「やりたい」ではなく「やらなければならない」という、マイナスの使命感でした。



大げさに言うと、

誰もやらないからわたしがやってやってる

初めて参加してきたあなたと長年やり続けてきたわたしでは、責任感がちがうからどうせわからないでしょう

というような感じです。


きっと、ボランティアの現場にいらっしゃるような方々は、自分の幸せよりも、大切な大切な動物さんたちのことを大事に思える心の優しい方たちなのです。



しかし、自分のことを犠牲にしてしまう精神状態での活動は、心の余裕をすり減らしているように感じました。



でも、それは同時に、無責任でもあると思うのです。



・・いつか限界がくるからです。





ある保護施設で、動物思いの優しい優しい男性職員さんがいました。

動物さんの処分をさせたくない、

そして全員救うことができないにしても、保護施設で生きている間はどうか幸せに暮らさせてやりたいと、自腹でわんちゃん用の毛布などを買ってきて、敷いてあげるような方でした。



しかし、そんな男性職員さんも日に日に疲弊していきます。

保護施設の動物さんの処分を遂行させたい上の人たちからの圧力や、自分が救いきれない動物さんたちの命が、失われ続ける現実が原因のことでした。



そして、そんな毎日をどうにかどうにか精一杯こなしていた職員さんは、ついに自ら命を絶ってしまいました。

自分の命とのいうべき時間、お金、精神、全てを捧げられるほど愛した動物たちを置いていくことなど、望んだはずがありません。

しかし、そんな彼が貫いてきた信念も、自分を犠牲にするやり方では、限界がきてしまったのです。

連携して動物の命を守っていた他の団体さんに、「どうかあの子たちをお願いします」という言葉を遺して。



わたしはリアルタイムでその現状を知ったとき、自分の軸をしっかりと作れた者しか踏み入れることのできない領域がある、と実感しました。



今すぐに、自分ができる精一杯のことをしたい、その気持ちはもちろん変わりません。

でも、それを責任を持ってできるのは、自分で自分のことを幸せにでき、その幸せが溢れた分だけなのです。



そんな気づきがあって、今すぐに動けば救える命がある、という現状と、自分が鍛錬して責任を持てるようになってから参加するべき領域だ、という間で悶々としていました。




そんなある日、寄付をさせてもらっていた愛護団体さんの代表さんが、入院されました。

その方も、自分よりも動物を優先で活動されていた方で、しばらくの間入院生活を余儀なくされました。

結局は、副代表の方や、他のお手伝いの方に負担をかけてしまう結果です。

いつもがんばってる代表さん、こんなときこそゆっくり休んでね、とはみんなが思ったことでしょうが、本人にはやっぱり申し訳ない気持ちって残ってしまうと思います。



そのことからも、ボランティアって簡単なことだからこそ、難しいんだな、と思いました。

ボランティアって、お給料をあげたりもらうわけじゃないので、「今日やっぱり行けません」などの無責任な行動も、受け入れるしかないのです。

保護した命を預かってる分、自分の生活費よりなによりも、預かった命を守ることを優先させる現実もあります。



そして、その分、責任感が強い代表さんなどが、自分を犠牲にしてまで無理をして、入院や病気などになっている現実があったのです。




そのことからわたしが学んだのは、「自分から溢れた分でしか、他に与えることはできない」ということです。



気功でも、自分の気を使う「養生功」、

外部からの無限の気を使う「秘伝功」があります。



養生功で自分に使う分には減ることはありませんが、

他に使い続けていると命を落としてしまうこともあります。

自分の気を他にあげ続けているので、足りなくなっていってしまうのですね。



気功師の先生に「あなたの病気が治るまで、わたしが治療をするので通ってください」と言われたのに、途中でその先生が「自分が病気になったので治療はやめます」となったら、残された側は「仕方ないけど、これからどうしたらいいの~っ」ってなっちゃいますよね。




そうならないためには、外部から無限の気をもらう秘伝功を使えるようにならないといけないわけです。

自分の気は満ちたまま、他に気を与えることができます。





ボランティアというものも、この秘伝功の状態、つまり、自分を犠牲にすることなく、他に与えられる状態になってこそ、長く続けられるものなのだと思います。






無償の愛で、他に与えられる人で溢れる世界、

そんな世界にわたしも住めたらどんなに幸せだろうって、本当に思います。



けど、優しすぎて犠牲になる生き方は、その人自身の幸せを無視してる生き方であるとも思うのです。



他の幸せは自分の幸せ、

だけど、自分の幸せも誰かにとっての幸せ、そして自分自身にとっても幸せなことを忘れないで欲しいなと思います。




わたしも自分を大切にすることはまだまだひよっこですが、もしも、自分を犠牲にして生きてしまっている方がいるならば、一緒に本当の幸せに気づいていきたいなと思います。

そして、やっぱり、動物さんや他の方に貢献できる自分で生きて行きたい、と思います。




今回は、とても個人的な意見を書いてしまいましたが、読んでくださり、ありがとうございました。