週プレニュースからです。
【26歳にして北京大学研究員に、
中国国内では年間300本以上の取材を受け、
テレビコメンテイターなどを務める
中国でもっとも有名な日本人・加藤嘉一氏。
「肩書で仕事をするなんて非生産的では?」
そもそも「肩書」という言葉の意味がない中国から、
これからの日本人に必要なスキルを説く。
現在、北京大学の講師をはじめ、
中国ではいろいろな活動をしているのですが、
ぼくの辞書には「肩書」という二文字はありません。
ぼくの名刺は“加藤嘉一”という名前のみ。
裏には最低限の連絡先しか記していません。
名前は人間にとって生まれて最初に得る人権であり尊厳です。
その名前で勝負することは最大の親孝行ですし、
このスタンスを一生変えるつもりはありません。
最近は学生でも○○大学なんて刷った名刺を持っている人が
けっこういますが、それって自信のなさの表れではないかと思うんです。
自信がないから肩書を持ちたがる。
ぼくから言わせれば、それは実に非論理的な行動です。
例えば社会人になって名刺交換をするとします。
相手の肩書が“部長”だったりすると、
あなたはその名刺を見ただけで信頼してしまうかもしれない。
でも、それっておかしいとは思いませんか。
なぜ肩書だけで「スゴい!」と思ってしまったり、
信頼を寄せてしまうのか。
信頼関係というのはコミュニケーションがあってこそ生まれるものです。
それをただ紙キレの交換だけで、
この人は上、この人は下、仕事がデキる、デキないと
疑いもなく判断してしまうのは不自然なことだと思うんです。
名刺交換にかかる時間は十数秒なので
互いを知るという意味でのコミュニケーションコストは
低くなっていると考えがちですが、それはまったく違います。
最近気づいたんですが、名刺を交換してしまったらそれまでで、
まったく言葉を交わさないことが多い。
それじゃ次にはつながらないんです。
相手の役職や立場ばかりに目がいき、
コミュニケーション不足になると
結果的に顔や名前をきちんと覚えてもらえず、
成果が挙がりにくくなってしまいます。
つまり、肩書で仕事をするということは極めて非生産的で、
本当の意味でこの国をダメにしている元凶だと思うんです。
その象徴こそが名刺なんです。
だからシンプル・イズ・ベスト。名刺には名前と住所、電話番号、
メールアドレスだけでいいでしょう。
そして名刺を交換する際が一番大事で、きちんと名前を伝え、
自分がどんな人物で何を考えているのか
自信を持って1分でコンパクトにアピールするんです。
しっかり相手の目を見て礼儀正しく、いい声で語れば、
相手はあなたの印象を心にとどめ、
いいコミュニケーションが生まれるでしょう。
これはぼくの提案なんですが、小学1年生から
最低でも義務教育の9年間、週に一度でいいから自分のことを
1分でプレゼンテーションする訓練をしたらどうでしょうか。
名前と年齢、出身地、今やっていること、これからやろうとしていること、
相談したいことなどを説明するんです。
年をとるごとに経験や情報が増え
1分でまとめるのは難しくなっていきますが、
それこそが成長であり、大きくなるまで続けることができたら、
きっと日本の社会は変わりますよ。
日本再生のカギだといっても過言ではないんじゃないでしょうか。
例えばの話、有事の際、日本の首脳陣のなかに自分が何を考え、
何をすべきなのかわかりやすく国民に説明できる人がいますか?
自分の名前で勝負していないから、きちんと考えを示せないんです。
肩書があるからといって能力があるとは限りません!
自分の名前で勝負できない人で
良好な人間関係を構築できる人なんていないと思いますよ。】
肩書き大好きな方に、どこまで響きますかね。