日本人としての誇り 1 | 貴影

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Voice からです。(野口健 氏  アルピニスト)


【◇日本政府は消極的な姿勢ゆえ 民間団体で取り組むしかない◇

太平洋戦争で亡くなった日本人兵士のご遺骨の大半が、

いまだ海外に放置されていることを、

どれだけの日本人が知っているだろうか。

大戦中、本土以外で亡くなった方は約240万人、

そのうち約半数は、いまだ帰還を果たしていない。

国のために命をなくされた方のご遺骨収集は、

本来ならば国の責任で行なうべき事業である。

しかし戦後の日本は戦争をタブー視する傾向から、

政府も長らく遺骨収集について正面から向き合うことを避けてきた。

その結果、国民のあいだでも戦争の記憶が薄れ、

遺骨収集活動も存続の危機に瀕している。

私が遺骨収集活動に携わるようになったのは約5年前。

なぜ私がこの活動を始めたのか。まずその経緯からお話ししたい。

私の祖父は、第二次大戦でビルマのインパール作戦に

参謀(第33師団)として参加した。

生還を果たした祖父は、私に会うたびに、当時の話を語ったものだ。

「夜、洞窟のなかで仲間の兵士が泣いている。

『どうした?』とみると、彼の足がウジだらけだ。

『ウジが自分の足の肉をかじっている音が聞こえる……』。

足は化膿し、黄色い膿が垂れていた。彼は衰弱し、3日後に死んだ」

「当時、体力の限界にきた自分の部下たちを、竹で叩いて歩かせた。

竹が割れるほど強く、何人も叩いた。

なぜなら、歩けなくなった兵士には、手榴弾をもたせなければいけない。

自分のかわいい部下にそんなことできようか。

だから心を鬼にして、無理やりにでも歩かせるんだ。

それでも、やむをえず手榴弾を渡すこともあった」

「あの作戦は生き地獄だった。

餓死やマラリアで、みな目の前でバタバタと死んでいった。

参謀だった私には何百人という部下がいたが、その8割以上が死んだ。

いまだに彼らの骨はあの場所に放置されている――」

話を聞きながら、人間の「死」とはたいへんなことなのだ、

と感じずにはいられなかった。

そんな私は5年前、8000mを超すヒマラヤ登頂中、

自身も「死」を覚悟する事態に陥った。

何日も猛吹雪が続き、真っ暗なテントに閉じ込められ、

ついに酸素も尽きようとしていた。そのとき私は、心の底から思った。

「日本に帰りたい……! オレもまもなくテントごと吹き飛ばされて、

雪のなかに埋もれてしまうだろう。

せめて、だれかがオレの遺体を見つけて

日本へ連れて帰ってくれないものか……」

このとき、ふいに祖父の話を思い出し、

「戦争で亡くなっていった方も、こんな思いで逝ったのだろうか。

彼らもひと目、家族に会いたかっただろうな……」と考えた。

そして私は、もし生きて帰ることができたら、

必ず戦没者の遺骨収集に取り組もう、と心に決めたのだった。

日本人のなかには、「遺体は丁重に扱う」という哲学があると思う。

たとえば私の経験でいうと、エベレスト登頂において

仲間を失う事態になったとき、8000mを超す山での遺体収容は

かなり困難で、欧米人は遺体を放ったらかしにする。

彼らにとっては「あれはただのボディ」、

つまりモノにすぎないというわけだ。

しかし日本隊だけはいつも、遺体収容に最大限の努力をはらう。

ところが不思議なことに、戦没者の遺骨収集となると、

この姿勢が逆転する。

アメリカは現在、第二次世界大戦、

朝鮮戦争などで行方不明となっている兵士の捜索、

遺骨収集に年間約55億円もの予算を充てている。

55億円というと、戦後から今日に至るまで

日本国が遺骨収集にかけた総額だ(!)。

さらにアメリカは、硫黄島にある

たった一体しか残ってない米兵の遺骨を、いまだ探索している。

一方、日本政府の態度は非常に冷たい。

遺骨収集は国家事業としては行なわれていないし、

予算もいま述べたとおり、アメリカと比べものにならない。

管轄のトップである歴代厚生(厚生労働)大臣も、

言葉では「遺骨収集は国の責任できちんと取り組むべき」と

いうにもかかわらず、アクションはなにも起こさない。

自民党政権末期になって、ようやく心ある代議士の方々から

議員立法を提出しようという動きが出てきた。

だがそれも、民主党に政権交代してからは頓挫している。

民主党はどちらかというと、遺骨収集には無関心。

2009年10月、鳩山由紀夫首相(当時)に、

遺骨収集に対する政府の姿勢を問う公開質問状を提出したが、

その返答も、非常に無味乾燥なものだった。

長らく続く政府の消極的な姿勢ゆえ、

遺骨収集は民間団体で取り組むしかなく、

私も力になりたいと思ったのだ。

◇空援隊の新提案により8000体のご遺骨が帰還◇

無念にも海外で亡くなった戦没者のご遺骨は、

なんとしてでも日本にお帰しすべきである。

そこでいま、私が訴えているのは、

遺骨収集活動は「オールジャパン」で取り組もうということだ。

というのは、社会事情の異なる海外から

ご遺骨を帰還させるためには、

日本が一丸となって相手に強く働きかけないと、

物事が進まないからだ。

私はこの5年間、NPO法人「空援隊」に所属し、

約52万人という、海外ではもっとも多くの遺骨が残されている

フィリピンで遺骨収集活動をしてきた。

日本政府のバックアップがないなかでの活動は、

苦難の連続であった。

たとえば遺骨を発見した場合、現地の村や市の長は、

必ずといっていいほど裏金を要求してきた。

お金をくれれば遺骨をもっていっていいよ、というのだ。

この手の話は、遺骨収集にかぎらず

海外で活動する団体が必ずぶつかる問題である。

昨年も、レイテ島の横に位置するポル島(セブ州)で

遺骨を収集しようとしたら、州知事の秘書のような人間がきて

「最近、日本からのODAが減っている。

ODAがない以上は、遺骨収集はさせない」と、ODAと取引しようとする。

さらにフィリピンは、考える以上にはるかに危険な場所であった。

都市部から離れた、とくに遺骨が残っているような地帯は、

数多くのゲリラが潜伏している。

日本人が丸腰で行けば、まちがいなく襲われるだろう。

2010年3月、フィリピンの外れにあるカラミアン諸島に行ったのだが、

島の岸壁までボートで行く際、フィリピンのゲリラ船が

すぐに近づいてきた。

向こうの船からは銃口がチラッとみえ、緊張が走った。

幸い、別のボートで護衛をつけていたので、

それをみたゲリラ船はスーといなくなったのだが。

こういった社会情勢にくわえ、

遺骨収集では収集システムにも問題があった。

一例を挙げると「鑑定人制度」だ。

これは一部で疑わしい骨を

日本に持ち込む動きがあったために導入されたものなのだが、

この制度では、いざ遺骨を発見したとき、

日本兵の骨か否かを鑑定する人間が、

フィリピン大学のダタール教授だけだった。

厖大な数のご遺骨があるなかで、

たった一人の鑑定人である彼が一片でも

「日本人の骨ではない」との判断を下せば、

たとえその他大多数が日本兵の遺骨であっても、

すべてが「収集不可」とされていたのだ。

しかもダタール氏の鑑定は、根拠が不明で、

日本側への十分な説明もなかった。

すべての骨に関して、「絶対に日本人のもの」と断定できるような

科学的根拠を示すことは、きわめて難しい。

欧米人かアジア人かであれば、骨格の違いから判別できるが、

アジア人のなかで、日本人か朝鮮人かフィリピン人かの

「科学的根拠」を示すなど、もともと無理がある。

そのなかで、ある一つの骨に関して

「絶対的な科学的根拠」が出るまで、

ほかの遺骨の収集もあきらめるのか。

それとも、もし大半が日本兵の骨であるならば、収集を是とするのか。

議論が分かれるところだろうが、私は後者の立場である。

「一片たりとも日本人以外の骨が混じってはいけない」という理由で、

大半の日本兵のご遺骨が放置されたままになっているのは、

おかしいと思う。

だから空援隊は、厚労省に新しい収集システムを提案した。

それは、発見された遺骨に関しては、

現地の地主や行政のトップの証言をもとに

「日本人の遺骨である」との公正文書をつくり、

フィリピン博物館に鑑定を依頼する。

そこで承認され、マニラの日本大使館に最終的な

「日本人の遺骨である」との証明書をもらえば、

それで認めようというものだ。

さらに、遺骨の情報源として現地情報を採用した。

現地情報とは、まず日本兵と戦ったフィリピン人ゲリラ兵士。

当時、洞窟にいる日本兵の山狩りは、

フィリピン人ゲリラ兵士が行なっていた。

彼らは当時の状況をとてもよく知っている。

そしていちばん大きな情報源は、フィリピンのトレジャーハンターである。

フィリピンでは、終戦時に山下奉文将軍率いる日本軍が

フィリピンの洞窟に埋蔵金を埋めたという伝説が、

いまだに信じられている。

また当時の軍刀やヘルメットなどの遺留品で程度のいいものは、

マニラの骨董品屋で高く売れる。トレジャーハンターは、

そういった金目のもの目当てに頻繁に洞窟に入っており、

日本人には迷路としか思えない洞窟の構造を完全に把握している。

彼らを味方にすれば一気に情報が集まってくる。

こういった変化が転機となり、空援隊は昨年、

約8000体のご遺骨の帰還を果たすという成果を上げた。

これで遺骨収集活動も勢いを増す

――そう考えていたときに、『週刊文春』(2010年3月18日号)に

空援隊への批判記事が出てしまった。】

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