佐久間勉 海軍大尉 | 貴影

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今日は、4月15日ですが、

明治43年の4月15日には、瀬戸内海の岩国沖で

演習航行中故障を起こした、潜水艇事故があった日です。

Tsutomu Sakuma.jpg

佐久間勉艇長の乗った潜水艇が、故障を起こし、

浮上できなくなってしまいました。

乗組員全員が浮上する為に懸命に手をつくしたようですが

叶わなかったようです。

佐久間艇長は、潜望鏡から漏れてくるかすかな光をたよりに

遺言を書いたと言われています。

息が苦しくなり、鼓膜が破れそうになる状態の中、

死の近づく苦しい状況の中で書かれたようです。


遺言には、乗組員全員が死ぬまで持ち場を離れず

立派に職務を全うした事、潜水艇の故障の原因、

沈んでからの様子などが述べられ、部下の遺族が

困らないように面倒を見てほしいとも記してあったそうです。


極限の状況の中で、心を乱さず行動のできる佐久間艇長は、

すばらしいと思いませんか?

貴影は何年も前に、先輩からこの話しを聞いてました。


かの夏目漱石もこの遺書には感激したようです。

当時の新聞にも「名文」と書いたとか。

与謝野晶子は次のような歌を残しています。


《海底の 水の明かりの 忍(したた)めし

永き別れの ますら男の文

海に入り 帰りこぬ人 十四人

いまも悲しき武夫(もののふ)の道》


そして潜水艇が引き上げられた時、

佐久間艇長以下十四名の乗組員全員、

自分の受け持つ持ち場を離れず、最後まで務めた姿が

ありありとわかるような形で発見されたそうです。


イギリスの新聞には、こう書かれたようです。

『この事件でわかることは、

日本人は体力上勇敢であるばかりか、

道徳上、精神上にもまた勇敢であることを証明している。

今にも昔にもこのようなことは世界に例が無い』と・・・・


佐久間艇長の遺書は、英語に訳され、

アメリカ、イギリスの海軍の教科書にも乗って、

軍人の手本とされたそうです。

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福井県小浜市、そうあの『オバマ』で有名になった・・・・

その小浜公園に、海軍士官軍服姿の

佐久間艇長の銅像があるんですよ。

チャンスがあったら行ってみたいんですけどね。

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