東京五輪と体育の日 | 貴影

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今年も10月10日が「体育の日」ではありませんね。

以前はそうでしたが・・・・ズレてきてます。

なぜ10月10日が「体育の日」だったか?

知る人も少なくなってきたんじゃないでしょうか。


1964年、アジア初のオリンピックが、

世界94カ国から5、586名の選手を集めて

東京で開催されました。

10月10日はその開会式の日にあたります。

それを記念して1966年、

「体育の日」が国民の祝日になりました。


東京オリンピックといえば、「円谷幸吉」です。

メインスタジアムの国立競技場に、

まだ一本の日の丸もあがっていない最終日、

フル・マラソンわずか3度目という

トラック・ランナーだった「円谷幸吉」が3位に入賞、

日の丸をなびかせます。

円谷選手は、

「私ひとりで走っているのじゃなく、

観客全員が、日本国民の全部の人が後ろから私を押してくれる。

そういう感じがして非常に心強く思った次第です」

と、述べました。


円谷選手は小学生の頃、運動会で後を振り向いて走ったという事で

父からひどく怒られます。

「後を振り向くのは卑怯で、きたないやり方だ。

正々堂々と自分の力を出し尽くして恥ずかしくない勝負をしろ」と。

それ以来、父の教えを守って一度も後を振り向かなかったらしいです。


東京オリンピックでは、国立競技場の中に

帰って来た時までは2位だったのですが、

背後から迫ってきたイギリスの選手に

第3コーナーでスパートをかけられ

抜かれてしまいます。


もっと早くうしろを振り向いていれば、

あるいは抜かれなかったかもしれないという人がいます。

そうだったかも、知れません・・・

しかし、最後まで父の教えを守り通したところに

何か感動させられますね。


円谷選手は、自衛隊体育学校所属でした。

ここは、オリンピック養成機関であり、

「金メダル養成所」といわれています。

自分のいた頃は、円谷選手の事をご存知な方に

重量挙げの三宅さんがいました。


ちなみに、現在の青梅マラソンは、「円谷幸吉」選手と一緒に走ろうと

いうことではじまったのはご存知でしたか?


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