昭和36年7月 めりけん飛び歩き 3

山本峰雄

 

空からシコルスキー航空機会社訪問

 

SAEの会議も無事に終り、我々はダグラスDC-6で、バッファローに飛び、ニューヨーク州貫通道路を通って、ナイアガラの冬景色と、新しい発電所の仕事などを見た後、エレクトラ機でニューヨークに向った。このエレクトラ型は、昨年以来相次ぐ事故により、米国民間航空局から、飛行速度を225ノットに抑えられている。日本を出るとき、エレクトラには乗らないことを決心していたが、速度を制限されているから大丈夫だろうという事になった。

我々4人は、特に一番揺れそうな最前端に席を占めた。どんよりとした雪空の下に、アメリカンエアラインのエレクトラは、ピストンエンジン機と変わらない速度でゆっくりと飛んだが、突風を受けるとエンジン・ナセルが左右に振動し、それと同時に胴体が左右に振動する。

前号にも述べたように、我々はロッキードの会社で、エンジンの支持方法を変更する工事を見て来たが、改造前のエレクトラでは、減速装置の歯車箱の上下2点でエンジンを支持しているため横振動を起しやすく、このため、ひどい突風などでエンジンの支持部が危険になる事は充分考えられるが、どうもこの振動と、胴体の横振動との間の連成が起っているように感じた。

デトロイトで、我々の会議中は、冬としては割合に暖かかったが、ニューヨークに着いてみると、雪が降り、なお悪いことにはニューイングランド方面に行くニューヨーク・セントラルと、ニューヘブン鉄道の従業員たちが、港湾労働者のストに同情して、ストライキをやっている最中で、鉄道が殆んど止まったも同然になっていた。

シコルスキー航空機会社訪問の約束のあった朝、私は目を覚ますと、直ぐにテレビのスイッチを入れ、先ずストライキの状態を確かめた。ニュースによると、今日も昨日通り続けられ、通勤列車の大部分が止まり、駅が混乱しているということである。しかし天気は良く、素晴らしい快晴だった。

そこへ、今日の案内役のM会社のT氏から電話があり、ストのため、シコルスキー会社のあるストラトフォードへは汽車で行けないので、好天気を幸い、自分の自動車で行こうということで、午前9時に迎えに行くというのである。そこで私はまだ時間があったので、ゆっくりと1階の食堂で朝食をとっていたが、間違いがその間に起ってしまった。

T氏の自動車が、少し早目の8時半にホテルに来て、フロントでは、私の部屋に電話したが、返事が無いので、T氏は、グランド・セントラル駅に行き、汽車が一本出ていることを確かめ、T氏は私がそれに乗って行ったものと決め、自動車を直接ストラトフォードに飛ばせてしまったのである。

それから何回も、M社とシコルスキーとの間、私とM社の間で電話連絡をした結果、ついにヘリコプターを、シコルスキー航空機会社からニューヨークまで迎えに来ることになったのである。

約束の午後0時半、私はタクシーでホテルを出て、指定されたハドソン河畔30丁目のヘリポートに向った。タクシーは、タイムス広場から、ハドソン河畔のウエストサイド・エクスプレスハイウェイに出て、昔懐かしいこの自動車道路を南に下った。

 

おもちゃのようなパイロット

 

これより少し河を下った所に、ニューヨーク・エアウェイズ航空会社のヘリポートが、ハドソン河の上に、板張りのヘリパッドをのせて張出していた。入口には小さな木造の小屋があり、そこに待合室と事務所があり、その外がヘリポートである。約束の1時ちょうど、ハドソン河の遥か沖の上に、私を迎えるS-51型機が、黒い小さな機影を現し、我々の待つヘリパッドの上にやって来た。パイロットは赤いジャンパーに、黄色い救命具を付け、まるでおもちゃのパイロットを見るようである。客席にはQ氏が見える。ヘリコプターは、いとも無雑作にヘリパッドの上に着陸し、Q氏が飛降りて来た。我々は、回転翼の吹き降しの中で、帽子を押えながら初対面の挨拶をした後、乗込んだ。ドアを閉めると、間髪入れず上昇し、ハドソン河上に浮き上がった。

昨日までの雪雲は、忘れたように今日は快晴で、さんさんたる太陽の光の下に、雪に覆われたニュージャージー州の湿地帯が左に、右にはマンハッタンの摩天楼の群れが、浮かび上っている。この素晴らしい眺めを楽しむ暇もなく、救命衣の付け方をQ氏が先ず教えてくれた。

救命衣は、航空輸送会社の旅客用のものと殆んど同じである。S-51は、マンハッタンの東岸に沿って北東に向かい、高度2500フィートで快適に飛行してゆく。

やがてヘリコプターは、マンハッタン島の北端から右に変針し、コネチカット州に入った。そして徐々に高度を3000フィートに上げて、ニューイングランドの海岸線とロングアイランド浅瀬を右に見て、離陸から40分の後に、ストラトフォードのシコルスキー工場本館の玄関前にある、ヘリパッドの上に着陸した。

 

巨大な工場

 

シコルスキーの工場は、昔、私が訪問した時に本社工場だったブリッジポート工場のほか、ハートフォードの工場があるが、最近、拡張されたストラトフォードの工場が、研究技術、販売のセンターになっている。

我々は、今までの飛行機会社訪問と同様、先ずここの構造や強度などに関する専門家たちの話を聞き、ある程度の討論を行った後、強度や構造の研究施設を見た。

ヘリコプターの場合、回転翼の羽根や、その付け根ハブ、操縦装置、減速歯車などは、何れも飛行機の場合より、もっと激しい変動荷重を受けるので、疲れの強度をよく研究、実験しておかないと危険である。

シコルスキーの、この方面の研究施設は、後で見たバートルの場合と全く同じく、大きなものは、機体全体の強度装置があり、また羽根に、回転中の遠心力を与えながら、繰り返し曲げを加えて、疲れ試験を行う装置、あるいは羽根の一部や、ハブなどの繰り返し試験装置などがあり、また材料自体の疲れ試験装置も揃っている。この研究部門だけで一つの研究所と言ってよいくらいの規模がある。

私は、案内してくれた2人の専門家と共に、試験機の間をまわって説明を聞き、運転状態を見た後、生産工場に入った。

ここでは、日本の海上自衛隊や海上保安庁で使用している、シコルスキーS-58型ヘリコプター、双発タービンヘリコプターS-61などを生産している。特にS-58は昨年12月までに1281台を生産して、各型式のうちの最大の生産量をあげた。

この他に、S-61型機実現のための実験機として、S-62型が作られているが、最近、話題になっているS-60型フライング・クレーンの開発に力を入れている。

S-60型機の原型機は、S-56型ヘリコプターのエンジンと回転翼を用い、総重量16トンで、5トンの有料荷重を積んで、半時間の飛行を行うことが出来る。1959年3月25日に、初飛行を行ったS-60の特徴は、操縦室と尾部との間に、各種の貨物や、ポッドを吊り下げて飛行するクレーンとして、重量物の短距離運搬や、他の交通機関では近接出来ない土地への運搬を行い得ることである。

 

単回転翼式を誇る

 

シコルスキーは、将来、このヘリコプターを、双発タービン・エンジン型にして、総重量18.9トン、有料荷重10トンの大型機とし、さらに、総重量42.8トン、有料荷重21.5トンの4発タービン・ヘリコプターをも作ろうとしている。

この最後に挙げたフライング・クレーンは、11枚の羽根からなる、直径30.5mの回転翼を持っている単回転翼式ヘリコプターである。

シコルスキーは、このように単回転翼式が、大型機に対しても、串型回転式に比して、優れているという、従来の所信を曲げていないだけでなく、羽根を11枚にしても、単回転翼式が有利であるという自信を持っている訳である。

我々は、S-58や、S-61の生産ラインを見て、とっぷり暮れてしまった戸外の雪の上に出て、自動車でシコルスキーの誇る、世界一の回転翼振回し試験スタンドの前に立った。最大出力馬力8000のテストスタンドは、既に職員が退社して、闇の中に静まり返っていたが、巨大な塔の上には、5枚羽根の回転翼が、重々しく羽根端を垂れ下げていた。そして、このスタンドの手前には、さらに2000馬力の主回転翼回転試験装置があり、また8000馬力スタンドに隣接して、尾部回転翼試験スタンドがあり、これは物凄い音を響かせて、テストを行っていた。

尾部回転翼試験スタンドは、尾部回転翼を、水平軸のまわりに回転しながら、それから離れた位置に設けられた垂直軸のまわりに、装置全体を、低速で回転させて、ジャイロ・モーメントを加えながら、耐久試験を行う装置である。

このようにして、我々は、盛りだくさんの見学プログラムを終り、P氏の自動車で、昔懐かしい1号ハイウェイに出た。このハイウェイは1932年に出来た、世界最初の自動車道路で、ドイツのアウトバーンの手本になったと言われている。そして夜更けに、ニューヨークの宿に帰った。

 

バートルの特徴

 

ペンシルバニアも、一面の雪に覆われていた。息子が米海軍の乗組員で、日本にいるというタクシーの運転手の話を聞きながら、シュイルキル川に沿って走った。

この付近に、米国独立戦争の時、ワシントンの軍隊が、1777年の冬を越冬した有名な、バレー・フォージュがある。カメラに、これを写した後、雪に覆われた丘陵地帯の林の中を走って、フィラデルフィアから、フェニックスビルを経て、パオリ町を通り、この間に、計器の会社を見学した後、モートン町にあるバートルの工場に着いた。

ここでは、特に入念な討論会が行われ、そして、私が今度の旅行で会った人々の中でも、最も代表的な、近代エンジニア型の人と思われる、強度構造部長G氏の好意で、あらゆる強度研究設備を見せてもらい、丁寧な説明を、短時間に、効率よく聞くことが出来た。

バートルとシコルスキーの研究施設は、殆んど同じと言ってよいくらい良く似ている。従ってバートルの研究は、ここでは省略する。

バートルのヘリコプターの特徴はいうまでも無く、その型が、串型回転翼式である。この点で、米国の二大ヘリコプターメーカーが、単回転翼式と、双回転翼式の、2つの方向を取っていて、これから大型化する傾向にあるヘリコプターとして、何れが有利かという問題は、世界が注目しているところである。

 

ヘリコプターの将来

 

バートルとシコルスキーの差は形態のみでなく、羽根の構造にも大きな差がある。

シコルスキーの羽根は、断面の前部の桁として、アルミの合金の押出型材を使っているのに対し、バートルの最近の型は、高張力鋼の引抜型材を用いている。

これらの優劣を、第三者から比較することは、この際、遠慮することにするが、我々は、ここでもその形態や、構造についての自信を聞き、その研究状況を見た後、さらに生産を見学した。

ここでは、昨年、日本にも宣伝飛行にやって来た、バートル107の生産型と、バートル44型などの、軍用型を作っている。

私は、日本に来たバートル107型原型機に乗ってみて、何年か前のピストン・エンジン付の小型ヘリコプターに比べて、振動、騒音が少なく、また実用性が向上し、安定性もSAS、その他の装備によって改善されたのを見て、ヘリコプターの将来が大分明るくなった感がした。

見学が終った後、再び話がヘリコプター部品の、疲れ現象に戻って話が弾んだ。しかし、私たちの飛行機の出発時間も迫っていたので、後ろ髪をひかれる思いで、フィラデルフィア空港に向った。

斯くして、私は午後5時発のイースタン・エアラインのDC-7Bに乗り込んで、ワシントンに向かった。