昭和36年6月 めりけん飛び歩き 2

山本峰雄

ロサンゼルスの交通

 

ロサンゼルス周辺地区の人口は約600万人を突破しており、交通は主として自動車に頼っている。

この交通を処理するために、立派な自動車道路が大ロサンゼルスを貫いて縦横に走っている。立体交差のフリーウェイだけでも、有名なディズニーランドの傍を通るサンタ・アナ・フリーウェイ、サン・ペドロ港に至るハーバー・フリーウェイなどの他、ハリウッド、ロングビーチ、パサディナ、サン・ベルナルディノなど12本のフリーウェイがある。

自動車が多くて、何れも近代的な高圧縦比で、燃焼室がくさび形になっているために、排気中に不燃焼ガスを出す機関が増えているため、人体に有害な一酸化炭素と酸化窒素が多量に大気中に撒き散らされ、またスモッグの原因となる煤煙が多い。このようにしてロサンゼルスの大気汚染とスモッグは、全米一の恐怖となった。次にスモックは航空の大敵である。朝7時半頃から8時半頃まで、しばしばスモッグが発生して自動車の交通を邪魔し、飛行機の発着を不可能にする。発着回数の多いロスの空港の上をスモッグが晴れるのを待って旋回する飛行機の爆音が絶えない。そして9時頃になってスモッグが晴れると、飛行場は急に忙しくなる。

人体に有害なガスの発生は、特殊な消音機を自動車道路につける法律が近く発布され、問題は無くなりそうだが、スモッグ退治の方はこれで目鼻が付くかどうか甚だ頼りない。

 

ダグラス社を訪ねる

 

ロサンゼルスに到着した日、旧友や新しい知人に挨拶すると、その足でロサンゼルスの下町のホテルを出て、約束した通りダグラス飛行機会社に向った。有名なロスの市庁は、22年前と変わらない白い高搭を青空にくっきりと浮上らせているが、その足もとのシヴィック・センター(官庁商業街)は20年前の姿を一新しつつあり、ことに市庁のすぐ北西には、ハリウッド、パサディナ、ハーバー、サンタ・アナ、サン・ベルナンデなどのフリーウェイが四段の立体交差を行う、有名なポインターチェンジがある。

我々は昔、下町からサンタ・モニカのロサンゼルス市有飛行場に至る片側3走線の自動車道路に、ぎっしりと自動車がつまって、一様な速度で水の流れるように走っている中に入って、その動的な交通に驚いたものであるが、今日では更に整った自動車道路が、サンタ・モニカに向って伸びている。

我々は先ず、サンタ・モニカの中級住宅地について、サンタ・モニカの海岸のヨットハーバーで休み、昔懐かしいオーシャン・アベニューを海岸線に沿ってドライブした。ここは、高いものは30フィートもあろうと思われる椰子の木の街路樹が生い繁って、南国の情緒を漂わしている。

ダラス飛行機会社のサンタ・モニカ工場は通称クローバー飛行場と呼ばれる市有飛行場の傍に、巨大な姿を青空にそびえさせている。

サンタ・モニカ工場は、ダグラス旅客機発祥の地と言ってもよい有名な工場である。私が、1938年8月28日にこの工場を訪れた時には、ちょうど試飛行を終ったばかりのダグラスDC-4型旅客機が置かれていた。この飛行機は今までは、初めての4発旅客機として、また始めての三車輪式(前輪式)降着装置を持った旅客機として、全世界の注目を集めていたのであった。

サンタ・モニカには、現在DC-8型ジェット旅客機を注文している世界各国の航空会社の、監督官事務所を収容する建物がある。そして工場はミサイル工場と、研究室となっている。我が日本航空も世界の航空会社に混じって、その事務所をこの建物の中に持っている。

私の今回の視察の主な目的は、飛行機の強度、特に突風、その他による繰返し荷重による材料の疲れ、破壊の理論的研究と、その実験設備の見学であったので、ダグラスのこの方面の技術者として、アメリカのみならず世界的に知られた人々に会って、その口からこの方面の研究の状況を聞くのが大きな楽しみであった。この視察内容は、ここで詳しく話しても、一般の読者にはさして興味が無いと思われるので省略するが、我々はまず一室に集まり、これらの問題について数名のダグラスの技術者からの話を聞き、討論を行い、DC-8の構造の疲れ試験と、その結果について写真と数字で説明を聞いた上、工場の外側の野外の各所に設備された強度研究施設を見てまわった。

主翼の実物強度試験装置、胴体一部の繰り返し水圧試験装置、主翼付根部分や桁の繰り返し強度試験装置などが、広いコンクリートの床だけの野外の各所に散在していて、一見すると無人の野外荷物置場のように見える空地のいくつかの一角に、何人かの人が集まり、実験をやっているのである。モーターのような、雨にかかると具合の悪いものは、小さな木造小屋に入れてある。

我々は、構造主任技師ハープシァン氏と、疲れ強度の大家クリステンセン氏ほかの人々と共に、照付けるサンタ・モニカの野外実験場を歩きまわり、水槽のタラップを昇り降りして、近代ジェット機の開発が、いかに巨大な資本を要するかということを身に沁みて感じた。

 

ロングビーチ工場へ

 

午後、我々はロングビーチ工場を訪れて、ここで生産しているDC-8型旅客機を見ることにした。サンタ・モニカからロングビーチの市有飛行場までは、直線距離にして24マイル足らずであるが、自動車で行くと1時間はかかる。そこで時間の無い我々は、飛行機で行くことにした。クローバー飛行場の入口の検問所で署名して飛行場に入ると、そこに古いダグラスDC-3型機が一機置いてある。胴体にアトラス航空会社と書いてある。

ダグラスの人々と、このダグラス特約のエアバスに乗込んでシートに腰掛けて話をしていると、やがてボツボツと人々が乗込んできて、適当な席を占めた。そのうち定刻になり、背の高いパイロットが乗客の名簿とロッグブックを持って乗り込み、操縦席に腰掛けるとエンジンを始動して滑走を始め、滑走路に入る前にしばらく止めてエンジンの調子を見たのち、簡単に離陸した。高度数百メートルで南下し、20分でロングビーチの飛行場に接地した。人々は無言で飛行機を降りて検問所を通って行った。

我々はそれから、DC-8型機が7台並んで組立てをやっている、超大型の組立工場を見てまわった。はるかにその端が霞むかと思われる大工場の中に、あの大きなジェット機が7台並び、作業場、部品補給ライン、事務所がそれに平行して設けられている。

新工場を出たのち、我々はさらに旧工場に入り、DC-7型機を改装した貨物輸送機の製作、改装作業を見た。そして、新旧両工場で最新式の板や胴体框などの整形用大型ストレッチャーなどを見てまわった。

そして再び、兎が遊ぶロングビーチ飛行場をDC-3型機で飛び立ち、夕方のサンタ・モニカに帰ったのである。22年前、我々はクローバー飛行場から小型遊覧機に乗って、ロングビーチまでの海岸の上空を飛んだことがあったが、あの時の海岸線の美しい色彩は、今でも変わっていない。

ダグラス飛行機会社はロングビーチ工場に約12000人、サンタ・モニカ工場に約20000人、エルセグンド工場に約10000人の人員を擁しロサンゼルス近郊だけで、総計42000人の人を雇っている。

しかし近代ジェット旅客機の製造は、多大の開発費を要する反面、その速度と旅客数の増加に伴って、旅客の輸送能力が増大したため、必要機数が少なくなっているので、なかなか採算が有利になることが困難になってきているようである。

 

ロッキード飛行機会社

 

ロスの下町からハリウッド・フリーウェイで北西に上り、グリフィス公園の裏からハリウッド・ウェイに入って北上すれば、ロッキードのバーバンク工場と、ロッキード空港に出る。未完成のサン・フェルナンド・フリーウェイを利用してもよい。

車がバーバンクの町に近づくと、よくロッキードの宣伝写真の背景に出て来る、灰褐色の山ひだを鈍く光らせているバーデュゴ山系と、その北東側のサン・ラフェエル・ヒルが迫って来て、バーバンクに来たという感を深くする。ここもまた私にとっては、22年ぶりなのである。

ロッキード社の大きな収入源となっているロッキード空港は、今日でもロサンゼルス国際空港の補助空港として繁栄しているだけでなく、日本では自家用自動車が普及し始めたという段階の今日、自家用機といってもその実態を捉えることは難しいと思われるので、ここでアメリカの自家用機の現状を話をしておこう。というのは、この日、ロサンゼルス国際空港で5人の有名な実業家が乗った自家用機が墜落した事件があって、広くアメリカに流行している自家用機をめぐって、その安全性などが論議されていたからである。

アメリカ全体には、旅客輸送機を含めて10万5千台の民間機があり、そのうち7万台が可動している状態であり、このうちの大部分は自家用機、または農業用機である。従って今日どこの都市の飛行場に行っても、自家用機の列が見られる。

戦前すでに、ニューヨークの下町ウォール街付近のイースト河畔には、水上機の預り場があり、ニューイングランド地方から通って来る水上自家用機の水洗い、整備、保管をやっていたが、今このサービス業は、アメリカ全体に広がっている。

さて、我々はロッキードの見学をダグラスの場合と同じく、まず討論会から始め、それが終った後、飛行場を見渡すテラス式食堂の窓から、これらの自家用機や旅客機の発着を眺めながら昼食を済まし、午後の見学に向った。

 

エレクトラを回収中

 

ロッキードの強度試験設備は、新旧の工場の各所に分散し、これを自動車でまわったのであるが、その施設はダグラスの場合と大体似たものであった。しかし、ここで我々は、P3V型対潜哨戒機の全翼強度試験や、共振型接手疲れ試験機、F-104C型を改造した複座戦闘機の引起し時の強度試験をはじめ、機体のあらゆる細部にわたる疲れ試験を行っていた。そして、このために必要な資料は実物飛行試験で得られたものを使っている。例えば、カリフォルニア州の東部を走るシエラネバダ山脈を越える往復飛行を行って、その時の突風による荷重を磁気テープに収め、それを使って、繰返し荷重を試験片に与えて、疲れ強度を確かめたりすることもやっている。

ところで、ここで製作したロッキード・エレクトラ型ターボプロップ機は、昨年色々な事故を起し、その結果、速度を418㎞/h付近に抑え、航空輸送に就航することを許された。ロッキードではこの対策を研究した結果、翼の外板を補強し、エンジンの吊り方を改造することが必要であると判ったので、既に航空輸送会社に引渡した全部のエレクトラを回収し、必要な改造を無償で行っている。

この回収作業に忙しい工場を我々は見て回った訳である。ロッキードの人々は、一方でF-104型やP3Vなどでよい商売をしながら、旅客機では大きな損害をこうむり、意気必ずしも上がらないという状態に見えた。このようにあらゆる場合を考え、あらゆる試験と計算をやった後でも、尚あのような大きなミスが起るという事は、現在の技術が不備なのであろうか。または、人間のやる事は全てある程度のミスを含むものであるのかと、私は工場の中を歩きながら考え込んでしまったのである。

ロッキード特有の、外板と補強縦通材を一枚の厚板から削り出したものが、翼の外板として使われているが、これを翼の上下面4部を取りかえる作業や、エンジン支持部の改造作業などが黙々として行われている広い工場を、足を棒にして見て回った。

あとで私は、バッファロー、ニューヨーク間をわざわざ飛行速度制限を受けているロッキード・エレクトラに乗り、特に胴体最前部に席を占めて、突風による機体の振動などを経験したが、やはりエンジン・ナセルと、胴体の横振れが多いことが明らかに感ぜられ、ある事故で、エンジンが取れたという事も、ある程度頷かれる思いがした。

しかし、ロッキードは急速にエレクトラの改造を進めているので、やがてこの種の横振動もなくなり、予期された性能が発揮出来るようになるだろう。

長い1カ月の見学を終った我々は、南カリフォルニアの、遅い、そして赤い夕陽の影を、ハイウェイの舗道の上に落しながら、下町の灯へと急いだ。

 

コンベア社訪問

 

アメリカを大きくひと回りして、メキシコに入った後に、再びロスに帰ってから、サンディエゴのコンベア飛行機会社を訪れた。メキシコ国境から、わずか17マイル北方にあるサンディエゴは、多分にメキシコの色彩を強く出している軍港都市である。そして気候は、ロスに比して、さらに南国的である。

サンディエゴ市有飛行場は、大西洋横断一番乗りの英雄リンドバーグの名をとって、リンドバーグ飛行場と名付けられているが、この一画にコンベアの飛行機工場がある。そしてこの工場は、この付近でパシフィック・ハイウェイと呼ばれている101号国道に面している。コンベア飛行機会社の事務所は、この101号国道の反対側にあって、跨線橋と、歩行者用横断路で工場と結ばれている。

ここでもまた我々は、アメリカでも強度研究方面で高名な技師たちの歓迎を受け、例によって討論会を開いた後、研究施設を見学、更にわが日本航空からも注文しているコンベア880中距離ジェット旅客機と、それを発展させたコンベア990ジェット旅客機の生産を視察した。

 

意気盛んな工場

 

880型の第1号機は、ちょうど2年前の1959年1月27日に初飛行を行ったが、990型は、我々が訪問した1週間ばかり前の1月24日に、試験飛行に成功した。また、アメリカ空軍の使っているコンベアのB-58ハスラー爆撃機が、2000㎏を搭載して、1000㎞と2000㎞のコース上の速度記録を作ったので、コンベアの技師たちは気をよくしているところであった。

さらに、880型機はちょうど今年の1月からTWA、その他の米大陸横断航路に就航し、最も早いジェット機として世の注目を集めていた。巡航速度990㎞/h、9100mまでの上昇時間17分という880型機の性能は、確かにダグラスやボーイングのジェット機にまさるとも劣らない高性能であるが、そのエンジンをより性能のよいアフター・ターボファン・エンジンに変更し、主翼後縁に4個のスピードカプセルと称するハマグリ型の整流体を取付けた990型に対する航空輸送界の期待は大きく、既に4社の航空会社から37台の注文を受け、今秋には、航空路に就航すると言われている。

例によって我々の技術討論会は技師長の序論から入り、各担当者の研究概要の発表があった後、質問討論が行われた。終ってから我々は、晴れ渡った青空の下の、海に臨んだ構造研究室の視察に入った。

野天のコンクリートの床の上には、他の会社の場合と同じような各種の研究設備が取付けられている。例えば飛行機の風防などに、鳥が衝突した場合の風防の強度試験のためには、規定により重さ4ポンドの鶏を使い、これを圧縮空気で筒の中を通して高速で押出して風防に当てる。その速度はマッハ1まで出せる。また霰の風防に対する衝撃も、この装置を使って試験する。

このバードガンの隣には、大型の構造物疲れ強度試験機があり、さらにその前方海寄りには、長さ33.5mの実物機体疲れ強度試験用水タンクがあって、ノースアメリカン社から試験を委託された練習機がすっぽり入っている。

また、高速で機体が空中を走るときの、空気の摩擦による空気加熱の試験装置、全備重量150トンまでの飛行機の機材の強度、および疲れ試験装置は、少し離れた大ビルディングに入っている。各種の電子計算装置や、その他の機体部分の計画的試験、およびその結果の自動記録装置など、数え上げれば際限がない。

以上挙げたのは構造研究部門だけであるが、この外に環境試験室、音響試験室、操縦装置試験室、油圧および空気圧装置試験室などを含む力学試験研究部、エレクトロニクス部、極超音速風胴、亜音速風胴、材料研究部、物理学研究所、熱力学研究部などが、この会社の研究部門を構成している。

 

880型と990型輸送機

 

さて我々は、構造や強度関係の部門を丹念に見て回った後、さらに構造設計の専門家たちと、880型ジェット機の生産工程と、構造の詳細を見て回った。巨大な組立台の上に上がって、組立中の胴体の中にもぐりこんだり、翼の中に頭を突っ込んだりした。

880型と990型の構造で、我々にとって最も興味の湧いたのは、胴体の上下に配置された縦通材も翼取付部付近の肋材も、全て押出し型材が使われ、縦通材と肋材の取付金具は、全て鍛造部材であることであった。胴体の下面には、ものすごく大きな押出資材を削り出した竜骨が通り、まるで船舶のように丈夫な構造である。胴体中央部の外板も、極めて厚いものを使って、ジェットエンジンの騒音が客室内に伝わらないように配慮されている。

特に驚いたのは、主翼の全体をスコッチウェルドと称する金属接着剤を鋲と併用して作り付け、燃料タンクの漏洩防止と、強度の増加を図っていることであった。このため、主翼の片側全体の接着を行う大きな炉が設けられている。また、実際の接着作業の前の、清浄処理の設備も膨大なものである。

このような大掛かりな研究、生産設備にもかかわらず、その注文量は、必ずしも十分採算がとれる程度の大きなもので無い事は、ジェット時代の航空機メーカーの大きな悩みであるように思われる。事実、現在のジェット機の生産で引き合っているのは、707、720、727などの一連のジェット機で、700機以上の注文を取ったボーイングのみである。

視察後、重役の一人と話をしたが、コンベアは創立以来、既に4回経営者がかわり、現在は周知の通り、ジェネラル・ダイナミックス・コーポレーションという大企業の傘下に入り、安定した経営をやっている。しかし、このような状態になり、会社はジェット時代を切り抜けるのに大変だという事であった。

そしてコンベアもまた、次の航空輸送の段階として、マッハ2及び3の超音速ジェット輸送機の設計を始めていて、10年後に、これらが世界の航空路に就航することを考えているが、このような輸送機の開発に要する多額の費用と、注文の少数になる事を考えて、憂鬱にならざるを得ないというのが実情であるようであった。

斯くて、将来の発展方向として、米国の主要会社は、いまやミサイル部門に主力を転換している。