akaitobiranoさんのブログ

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皆さんは線を書く時

 

線は書くと言うのが正しいのか引くと言う正しいのか知りませんが

 

要するに線と言うものを視覚的に表現する時に

 

紙にペンないし鉛筆で縦なり横なり斜めなり

 

書くなりひくなりするでしょう

 

平面つまり二次元での話です

 

これが立体になるとどうなると思いますか

 

僕個人の見解としては

 

3次元におけるヘアスタイルに完全なる直線が成立するのか

 

これは甚だ疑問であります

 

例えボブ

 

ボブの定義も曖昧ですが

 

ベーシックなボブ

 

いわゆるワンレングスというスタイルですが

 

毛先を切りそろえて直線を表現する訳です

 

ですがこの時

 

直線を意識して切ってしまうと

 

視覚的には曲線になってしまいます

 

これは問題ですよ

 

言語と現実の不一致です

 

僕が言葉をイマイチ信用置けないのは

 

いたる所でこれが起こるんです

 

ですがこれ

 

具体的に経験がある人同士なら通じ合うんです

 

具体的とは

 

同じような経験をした同じような失敗をしたもの同士

 

実際には

 

頭の中で描いた線は

 

現実には線にはならない

 

そんな単純なモノじゃない

 

たかが線ですが

 

あらゆる想定をして立体を意識しないと

 

線にはならないんです

 

厳密に言うと

 

どんなに正確に線を描いても

 

頭が傾けば曲線が出てしまう

 

凹みや出っ張りが生まれてしまう

 

ただこれと格闘していると

 

自然と理屈を習得し

 

できなかった事ができるようになる

 

人間にはそう言う機能があるのだと思います

 

これはテキストで伝える事には限界があると思います

 

なぜなら起こる事全てを記録できないし

 

全て記録できたとしても

 

確実に伝えられる言葉があるのか

 

聞き手が全てをつなげて理解できるのか

 

自分には言葉だけで説明できる自信がありません

 

だから習うより慣れろと言う言葉が生まれたのではないかと

 

そう思います

 

勉強とは

 

学問とは

 

具体的なモノに触れた人だけが理解できるモノであって

 

尚且つ

 

現実を優先できる人だけが

 

答えに辿り着けるんじゃないかと思います

 

全ては具体的にそこにあるもの

 

頭の中の出来事は

 

そう思っただけの事

 

誰かが言った言葉を

 

あたかも真実だと思い込んでそう思っているだけ

 

情報は

 

具体的な経験がないとまんまと騙されますよ

 

消費税がいい例です

 

あなたのために

 

1円でも安く提供しようとしてくれていたかもしれない人を

 

泥棒とののしったのだとしたら

 

それはあなたのために一生懸命になってくれた人に対し

 

唾を吐くのと同じ事です

 

税は払うものではなく納めるものですよ

 

払うとは商取引に使う言葉です

 

対価を得る時にのみ使うのが原則です

 

因みに消費税は経費です

 

仕入れ税額控除があると言う事は

 

税が経費になると言う事です

 

どこに消費者が介入する余地がありますか?

 

消費税とは事業者が

 

何も手にできない出費

 

いわば罰金を取られて

 

それを計算して値付けしなければならない

 

事業者に課せられた直接税です

 

泥棒って誰が誰のお金を泥棒したのでしょう

 

まさか

 

あなたに喜んでもらおうと一生懸命だった人を

 

泥棒なんて思わないですよね

 

それはあなたがそう思っただけで

 

現実は

 

あなたに喜んでもらいたかった

 

ただそれだけです

 

よもや泥棒したなんて思われる事は

 

誰も想定しないでしょう

 

それもきっと事業者の頭の中の出来事

 

現実は

 

良かれと思ってやっていたことなのに

 

泥棒に見えていたなんて

 

でもそれも現実です

 

受け止めて生きていかなければいけませんね

 

世間で正しいと思われている事が

 

歪んで見えるのは

 

それも僕の頭の中の出来事です

 

 

 

 

 

 

昨日は母の調子が悪く

 

誰もご飯を食べてくれないと泣き出してしまい

 

誰も居ないからしょうがないとどれだけ言っても

 

それはこっちの世界の話であって

 

母には母の世界があるので通用しないんですよね

 

あいにく弟が来てくれて

 

その場は落ち着きましたが

 

こういう時って論理的にとか整合性とか

 

何にも役に立たないんで

 

論理で考えちゃう人ってどうすんのかなと思います

 

いつからなんですかね

 

いちいち証明しなきゃいけなくなったのって

 

その論理がが正しいと言う論理は?とか言われたらどおすんだろ

 

めんどくさいですね

 

 

たまたま観ていたテレビで

 

奥さんが「大丈夫」と言った時の旦那さんのリアクション

 

旦那さんは言葉の通り受け止めて

 

「大丈夫なんだ」

 

と思ってしまう事に対して

 

奥さんの言い分は

 

「大丈夫な訳ないじゃん」

 

「見たらわかるだろ」

 

だそうです

 

論理的には旦那さんが正しいという事になってしまいますよね

 

ただ

 

言葉と感情が裏返った時

 

コミュニケーションは破綻します

 

奥さんの「大丈夫」

 

これを一つの情報だとしたとすると

 

情報は固定化されて止まってしまうそうなんです

 

これは僕が言ってるんじゃないですよ

 

知の巨人 養老先生の言葉です

 

人間は動いているモノを扱えない

 

情報として固定化してしまうんだそうです

 

これ現代人の特徴だと思うんですよね

 

勉強ってそうじゃないですか

 

勉強して知識を記憶して固定する作業

 

なので柔軟性を許さない

 

ちょっとでもイレギュラーなものが交じり合うと

 

固定できなくなっちゃいますもんね

 

養老先生がよく言う

 

諸行無常や万物流転

 

世は移り行くと言う事ですが

 

移り行くものという前提の知識なのか

 

知識は絶対で動かしようのないモノだと思うのか

 

僕は後者を見ると

 

バカと認識してしまう

 

諸行無常なのに

 

ダメですね

 

正しくは

 

現時点でバカと言う事です

 

「大丈夫」って言ったんだから俺は悪くない!

 

わかります

 

論理的には

 

ただ感情は言葉では計り知れない

 

どんなに理論武装して相手を言いくるめても

 

感情はなにも変わらない

 

これは奥さんにも言える事です

 

夫婦喧嘩は勝つ事を目的にしてはいけません

 

と未婚の俺が言っとります

 

名言だ

 

論理的には破綻してるけど

 

いいですか

 

平家物語はこうも言っています

 

驕れる人も久しからず

 

たけき者もつひには滅びぬ

ひとへに風のまえの塵におなじ

 

 

調子に乗ってる人は長くは続かない

 

強い人もやがて滅びる

 

最後は風にふかれるゴミと変わらない

 

そんな扱いになっちゃうんです

 

ゴミですよ

 

しかも風に吹かれる

 

まあ僕も誰かにそう思われている事は否めないが

 

ただ

 

諸行無常の響きあり精神は身につけようと思います

 

母の事もそうですが

 

頭で考えていたようにはならないんですね

 

ただ知識と経験が無駄だったかと言うと

 

それは違います

 

移り行く時の中で

 

知識も経験も役には立つんです

 

ただ

 

知識と経験で思い描いた未来にはならないだけです

 

おごれる者とは

 

知識が全てを決めていると思うから

 

唯春の夢の如しになってしまうのです

 

ひとへに風のまえの塵におなじになってしまうんのです

 

そう琵琶法師は伝えたかったんじゃないですかね

 

まあそうであろうとなかろうと

 

諸行無常に変わりはないのですが

 

最後は風に吹かれるゴミとなったとしても

 

自分が納得いく人生であったのならば

 

誇り高きゴミとして

 

風に吹かれて舞い上がれ

 

それにしても

 

昔の人は良い事言うなと思います

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

祇園精舎の鐘の声

 

諸行無常の響きあり

 

沙羅双樹の花の色

 

盛者必衰の理をあらわす

 

おごれる人も久しからず

 

ただ春の夜の夢の如し

 

たけき者もつひには滅びぬ

 

ひとへに風のまえの塵におなじ

 

 

【平家物語】

 

 

 

初めてレッドドアーの話を聞いた時

 

その時の光景は

 

何故か自分を外側から見てるんです

 

おかしいですよね

 

自分は自分で見えないはず

 

自分の左側

 

ここからの眺めなんです

 

自分で言うのも恥ずかしいですが

 

目がキラキラしているんです

 

笑顔ではない笑顔の一歩手前のすごいモノを手に入れた

 

そんな表情です

 

この表情はどこかで見た事があります

 

誰かはわからないけど

 

もおそこしか見えていない時の顔

 

僕は誰かにはなれないので

 

自分の体験でしか話せませんが

 

これに似た場面がいくつかあります

 

失敗する事なんて微塵も考えない

 

こうしたい

 

こうなりたい

 

こういう自分になりたい

 

残念ながら思ったようには殆ど物事は進まないのですが

 

それでも次こそはと思えるのは

 

キラキラした自分の姿を忘れずにいたからかもしれません

 

そこには他人は存在しない

 

自分と自分の想いだけ

 

でも現実は自分以外の誰かと関わらなければ成立しない

 

うまくいかないのは当たり前です

 

少しづつ少しづつ

 

荒れ狂った感情を抑えては

 

また荒れ狂た感情に襲われて

 

それを繰り返す事で

 

諦めと言うものを覚えていきました

 

どうにもならないものはどうにもならない

 

どんなに抵抗しても

 

社会の一部になると言う事は

 

その大きな流れの中で自分をコントロールするしかない

 

でも思うんです

 

本来目指すべき場所は強制的に変えられてしまうけど

 

その流された先でまた自分の生きる道を探せばいいんじゃないかって

 

本当に大事なのはそれなのかもしれないと思います

 

神様はイージーな人生を与えてはくれなかったけど

 

だからこそ豊かな人生を与えようとしてくれているのかもしれない

 

大事なのは

 

あの目を輝かせて

 

きっとこんな未来が待っている

 

明日が楽しみで仕方ない

 

そんな自分になれたら

 

誰にだって優しくなれる気がします

 

博愛主義者

 

それって悪い事ですか?

 

誰かに迷惑かけますか?

 

そんなの関係ない

 

自分は誰かにはなれない

 

自分は自分

 

他人の言う事なんて聞いてられない

 

そんな時間はない

 

どうせ他人にはなれないし

 

なったとこで理解できないし

 

そう考えるとやっぱり

 

自分は自分でしかない

 

過去の自分をお手本に

 

あの頃の気持ちを味方につけて

 

何が正解かもわからないけど

 

自分がなりたい自分だけを目指して

 

残された人生を精一杯楽しみたいと思います