コロナ禍によって企業は大ダメージを受けているようです。
海外の巨大企業の中には、コロナ禍に対して巨額の寄付をしているところもあります。しかし、日本の大企業では、そういう話を聞きません。個人商店が一生懸命、ささやかな社会貢献しようとしていることが、話題になることがあり、心を温かくさせます。
昔の大商人、大店は、飢饉や大火災時にお助け米やお助け小屋をして庶民を助けたと言われています。
今の日本企業、世界有数の企業でありながら何もできないことに失望感があります。それ以上に、本体が危ない状況であることに驚きます。派遣や臨時職員を解雇したり、従業員すら人員整理をしたりしています。企業業績が悪化するのは仕方がないことです。しかし、地域を助けられないばかりか、企業自体を、従業員を支える資力がなかったことが不思議です。
企業に膨大な内部留保があり、それをどう活かすべきかという議論もありました。結局、内部留保は、言葉通りの意味の蓄えにはなっていなかったと言うことです。企業会計の一科目であったに過ぎなかったと。
右肩上がりで企業を継続させていくか、地震などの災害にどう立ち向かって、リスクマネジメントをし、継続させていくかそんな議論ばかりでした。伸び続けなければ生きていけない。そうあらねばという経営のような気がします。何か欠如していたように思います。
マグロと同じです。動き続け、食べていないと、止まると死んでしまう。
ちょっと前まで、災害などで、サプライチェーンが滞った時の対応で分散化などが必要であり検討しなければといわれていましたが、全世界に及んだ今回のようなコロナ禍では対応ができないことに気が付いたように思います。
新しい企業経営の思想が必要と思います。例えば、企業が活動を停止せざるを得ない状況でも生き残れる、冬眠・休眠しても大丈夫な蓄えを、事実上の内部留保を持つこと。や、サプライチェーンが停止しても、芽吹くことができる生産ライン(転用できるシステム)を温存する方策を検討することが必要なような気がします。
蛇足ながら国も同様な気がします。今回のコロナ禍によって、我々の社会(安定し繁栄してきた社会)がいかに脆弱であったかと虚構であったかと思い知らされたのではないでしょうか。グローバル化と言われ一体化した経済、物流・交流と考えられてきましたが、流が途切れたとき(国境が封鎖され、孤立したときも)に、生存・生活が脅かされるようでは困ります。生産能力を温存したり、休眠させ、いつでも利用できるよう備えておく必要があると思います。今まで切り捨ててきた産業や技能などもなくしてしまえば終わりです。合理性を追求しそれらを他に転嫁し、他に依存してしまえば危険だと言うことを充分認識したのではないかと思います。
新しい生活様式ばかりでなく、新しい社会体制、経済体制なども議論すべきではないでしょうか。