今日の仕事は、自分でも信じられないくらいの大失敗だった。大事なクライアントへのプレゼン資料に致命的なデータミスが見つかり、契約寸前だった案件が保留になってしまったのだ。部長からは雷のような叱責を受け、同僚たちの視線も痛いほどだった。「どうしてあんな間違いを…」「確認を怠った自分が悪いんだ…」自己嫌悪と後悔の念が、鉛のように心を重くする。
会社を出ると、空はどんよりと曇り、今にも泣き出しそうな天気だった。まさに今の自分の心のようだ。とぼとぼと駅へ向かう足取りは、いつもよりずっと重い。早く家に帰って、この重苦しい気持ちから解放されたい。でも、家に帰ったところで、失敗の事実が変わるわけじゃない。そんな考えが頭をぐるぐると巡り、ため息ばかりが漏れた。
ふと、最寄り駅からの帰り道、いつも通る公園の脇で足を止めた。ポツポツと降り始めた雨から逃れるように、東屋の隅で小さな何かが震えているのが見えた。近づいてみると、それは生まれて間もないような小さな子猫だった。灰色と白のぶち模様で、大きな青い瞳が不安げにこちらを見上げている。雨に濡れて、か細い声で「ミャア…」と鳴いていた。
「どうしたんだ、こんなところで…親とはぐれたのか?」
自分の失敗で頭がいっぱいだったはずなのに、その小さな命を前にしたら、放っておけなかった。鞄からハンカチを取り出し、優しく子猫の体を拭いてやる。冷え切った体が、小さく震えていた。持っていた折り畳み傘を広げ、子猫が濡れないように東屋の柱に立てかける。
「少しの間だけだけど、これで雨宿りしてな」
しばらくの間、傘の下で丸くなる子猫を、ただ黙って見守っていた。自分の大きな失敗と比べれば、この子猫が置かれている状況はもっと切実だ。生きるか死ぬかの瀬戸際かもしれない。そう思うと、自分の悩みなんてちっぽけなものに思えてきた。
すると、後ろから「あらあら、可愛い猫ちゃん。どうしたのかしら?」と優しい声がした。振り返ると、買い物帰りらしい上品な雰囲気の老婦人が立っていた。
「雨宿りさせてあげていたんです。親猫が見当たらなくて…」と事情を話すと、婦人は「まあ、それは大変。うちで一時的に預かりましょうか? 私、昔猫を飼っていたから、少しは分かるのよ」と言ってくれた。
婦人は手際よく持っていたエコバッグにタオルを敷き、子猫をそっと中に入れる。「あなた、優しいのね。こんな雨の中、この子を見捨てないなんて。きっと良いことがありますよ」と、婦人は温かい笑顔で言ってくれた。連絡先を交換し、もし飼い主が見つからなければ、また相談しましょうということになった。
婦人と別れ、再び家路につく。さっきまでの重苦しい気持ちが、嘘のように軽くなっていることに気づいた。仕事の失敗が帳消しになったわけではない。明日、また部長に謝罪し、挽回策を考えなければならないだろう。でも、なんだか「大丈夫だ」という気がしてきた。
あの小さな子猫を助けられたこと、そして親切な婦人との出会い。ほんのささやかな出来事だったけれど、冷え切っていた心に温かい火が灯ったような感覚だった。道端の小さな命に心を寄せられた自分、そして手を差し伸べてくれた人の優しさ。世の中、捨てたもんじゃないな、と思えた。
雨はいつの間にか止み、雲の切れ間から夕日が差し込んでいる。濡れたアスファルトがキラキラと輝いていた。
「よし、明日からまた頑張ろう」
自然とそんな言葉が口をついて出た。足取りは軽く、少しだけ胸を張って、家への道を歩き始めた。玄関のドアを開けるときには、すっかりいつもの自分を取り戻しているような気がした。今日の帰り道は、思ったよりもずっと良いものになった。
