こんにちは。

赤いユウスケです。

スピリチュアルに関する記事を書いてます!


今回はやっと分かった

占いをしてる人が身につく感覚についての話です。


マヤ暦を知っていると

自分と相手は違うのは当たり前で

それを知っていると

人間関係がスムーズにいくという

話をよく聞きます。

(おばらゆきえさんがよく語ってます)


苦手な人が居なくなる‼️

とは、言えないかもしれませんが

(宿曜とかでどうしても相性が特徴的な関係もあります)


情状酌量の余地があると

考えられるようになるからだと思っています。


例えば、

家の花瓶を落として割っちゃった人がいて

何で割ったんだ!ってなっても

お酒飲んでたからとか

寝不足だったからとか

色々な理由を考えられます。


そこに納得するなら

理由は何でもいいのかもしれませんが

占い(命式)に出ている性格上

仕方がないと理解できれば

情状酌量、相手を理解できることになるから

対人関係でイライラしなくなるのではと

思ったりします。


苫米地英人さんは

言語運用能力の高い人は

この相手の失敗の仕方がない理由を

思いついたり考えたりするのが上手で

ほとんど怒らないというような

ことを本に書いていました。

(統合して考えるとIQもある程度必要ということです)



話は発展しますが、

情状酌量とは感情、情動の面での話であって

論理的に合ってるか間違ってるかは

問うてないです。


つまり、花瓶を割るのは良くない。

(勿体無いとか、故意にやるものではないとか)

信号無視は良くない。

(許せるかとかじゃなく交通違反ですからね)


だから、要素としては

情動的な面と論理的な面が存在してる訳です。


その2つが統合をし始めると

感性に行き着くようですが、

花瓶とか信号無視程度の話なら

普通の人は感性で判断していると思われます。

(もっと複雑な問題は答えが出せない状態になることも)


マヤ暦を学んでいると

嫌いな人がいなくなるというような話から

色々考えていることを書いてみましたが


実感としてタイプ分けしながら考えられる人

自分と他人は違うことを理解しているし


仕方がない理由探しをしている人とかは

無闇にイライラしていないように思います。


逆に占い勉強してるから

理解があるかって聞かれたら

そうでもない感触はあります。。


どちらにせよ命式が

情状酌量の余地の根拠となり得ることは

確かだと感じています。