知能による知性で肉体、思考、感情をコントロールしているのが本当の自分ではなく、道(Tao)という命に溶け込んでいる本当の自分が、肉体の中の心臓の動き、免疫、体が覚えているようなや無意識でしていることも含めて、意識の動き、思考、感情をコントロールするのが本来の生です。


道(tao)という命は永遠であり、肉体、思考、感情は森羅万象の中の一つの現象であるわけです。風が吹く、風が止む、音が鳴る、音が止むというONとOFFを繰り返す道(Tao)という本質から生まれる諸行無常の現象でしかありません。


認知している自分が「自分である」ということは思い込みでしかありません。そして、思考も感情もです。


現在、知能で認知している自分にはどういうことが起きているでしょうか?本日までに実生活で起きたことを頭に描いてみてください。実生活で起きたことは、頭の中で再現することが可能で、思考も感情も再現されてしまいます。ということは、実生活で使っている現実だと思っている世は、あなたの心の中身をわざわざ見せてくれている世であるわけです。昔から、この世は浮世と言われており、自らの思いが投影され、思わないことは無視しているわけです。


好きなこと、嫌いなこと、良いこと、悪いこと、好きな人、嫌いな人、良い人、悪い人、全て頭や心にあるものと、社会や世間にあるものと完全リンクされていないでしょうか?


完全一致しているはずです。そして、自らが自身だと思いこんでいる思考と感情も知性が生み出す幻であり、本来の自分(Tao)から生じる事象に過ぎないのです。つまり、諸行無常の幻ということになります。


現実界とは、人それぞれの知性が映し出してる幻の世というなんです。


修跋