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考えて欲しい話

2005年、

私の岩手の友人が亡くなりました。
中学の同級生で、
いわゆる仲間内の男でした。

自殺でした。

愛される男でした。
敵のいない男でした。
自殺の理由は、ハッキリとはわかりません。
事情は、地元の仲間は何となく分かっていました。

地元の親友たちは、
自殺した友人の事をいまだにこう言います。

『あいつは、バカだ』




2000年、

私の叔父が亡くなりました。
お酒が好きで、お酒に人生を乱される部分も少なからずありました。
ただ、愛される人でした。
型破りな存在が、田舎の閉塞感をスっとさせてくれる人でした。

親族みな、いまだに叔父の事をこう言います。

『あれだきゃ、バカだはんで』



この
『バカ』という表現が、
憎しみも恨みも蔑みもなく、
愛情と後悔に染まっている事は、
日本人なら誰でも理解出来ますよね?


さらに、
東北、とくに北東北では、
この
『バカ』という表現の深さと重さが増します。
おそらく、
『言わなくても感じあえるだろう』
という、無口で口が重い北の男の文化、風習が影響していると思います。

子供の頃から、
大人の男たちが
葬式や通夜の席で『バカ』という表現を使う事を耳にして来たのは、
なにも私だけでは無いはずです。



平野大臣の『バカ』発言は、
私人として、重さを感じました。


では、
大臣という公人としてはどうなのか?



仲間を失って、
辛さと後悔と愛情と、色んな感情が混じり合って、
『バカ』
と表現した。

人間味があって良いじゃないでしょうか?
そこで冷静に話す事も悪くは無いですが、
私は血の通った人間味が前面に出るひとに、
復興をお願いしたい。

平野大臣の発言に違和感は皆無です。


メディアの私は、
頻繁に悩みます。

この手のマッチポンプ報道の
価値と影響を考えると、
悩みます。