臓器移植法を考えよう
臓器移植法の改正。
まだ決まったわけではありませんが、『脳死は人の死』である、という方向でいま話が進んでいます。
これ、考えさせられますよ…
私が個人的に思うのは、臓器移植医療の拡大です。
とくに、幼児の移植を国内で可能に。
去年タンザニアに取材に行ったときに頻繁に出会ったのが、腕や脚、目や耳のない人たち。
話によると、事故で不自由になった人の他に、自らの意志で腕を失った人や、幼い頃に親が意図的に子どもの腕を切る、なんてことがあるそう。
路上での物ごいのためです。
こう考えると、同じ人間の身体の一部なのに、『立ち位置』によって全くとらえ方が変わるのが分かります。
『身近に脳死の人がいる』
『身近にドナーを待つ人がいる』
この両者にとって、臓器移植法は全く別の表情に見えるでしょうね。
家族と話し合う、ひとつのきっかけです。
まだ決まったわけではありませんが、『脳死は人の死』である、という方向でいま話が進んでいます。
これ、考えさせられますよ…
私が個人的に思うのは、臓器移植医療の拡大です。
とくに、幼児の移植を国内で可能に。
去年タンザニアに取材に行ったときに頻繁に出会ったのが、腕や脚、目や耳のない人たち。
話によると、事故で不自由になった人の他に、自らの意志で腕を失った人や、幼い頃に親が意図的に子どもの腕を切る、なんてことがあるそう。
路上での物ごいのためです。
こう考えると、同じ人間の身体の一部なのに、『立ち位置』によって全くとらえ方が変わるのが分かります。
『身近に脳死の人がいる』
『身近にドナーを待つ人がいる』
この両者にとって、臓器移植法は全く別の表情に見えるでしょうね。
家族と話し合う、ひとつのきっかけです。