この前図書館で借りたもの。

『なぜ、植物図鑑か』

中平さんの名著といわれるもの。

中平さんがこの題名をもって何を言いたいのか、あらかじめ知っていたけど、読んでいくと腑に落ちるところがある。


情報や事物が氾濫する現代で、芸術家が個の表現として写真を撮っていく時代は終わったという。

それは事物が事物として存在し始めてきたから。

人間のパースペクティブというものはもうあってないものになってきている。


それを踏まえて中平さんは植物図鑑のように徹底的に個の存在を消し、事物そのものをカメラで写し始めた。植物図鑑のように。


なぜ植物なのかに関しては動物は血生臭いから、鉱物は堅牢すぎる、だからその中間の植物が良いと言っていた。その部分は理解できるようなできないような。


中平さんの考え方にはすごく同意するけれども、そうするとカメラマンと写真家の区別はなくなってくるのではないかと思う。しかしそれもよく考えると、一見同じように見えるカメラマンが自分の意図なく撮る商業用の写真と中平さんの言う写真は少し違うように思える。商業用の写真はカメラマンの意図はないけれど、クライアントの意図が存在する。つまり、それは個が介入する。

一方で中平さんの写真は誰の意図も介さず事物そのものに焦点を当てることを目指している。


ほお、じゃあ違うか。


けども、そのふたつの写真を実際に手をとって見たときに、その違いが見えてくるか。

それはどんな玄人であってもそれを撮った人間の素性が伏せられてたら、わからないではないか。


そうした不明瞭な点はあるものの、この新しい見方に立った中平の芸術への意気込みには非常に感心する。