大田原市なす風土記の丘湯津上資料館 | タカチン日記~赤城の郷から伝えたい事~

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日本三古碑って知ってます?

 

宮城県の多賀城碑、群馬県の多胡碑、そしてここ大田原市にある那須国造碑です。

 

我が国の昔を知る手掛かりにもなってますが、、書道史からも重要な碑なんだそうです。

 

 

この辺りに、、、那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ)があるのは知っていましたが、、、寄ったことはなかったんですよね・・・・

 

今回、、その那須国造碑が御神体になってる笠石神社を参拝するに当たり、、、予備知識を得るため資料館に最初に寄りました。

 

入館料を払い、、、、

 

 

入ってすぐにあるのは那須国造碑のレプリカ

 

このあと、、、御神体そのものを見ましたけど、、、同じでした(あたりまえか^^;)

 

700年に作られた古碑ですが、、、文字とか痛みが無く残っているんですよ。

 

大陸から渡って来た技法で彫られたんだとか、、、凄いですね。

 

 

延宝4年(1676年)僧、円順により発見、、水戸光圀公により笠石神社を作り碑の保護を命じたんだとか。

 

 

他の三碑、、、プラス我が群馬県には山ノ上碑と、、金井澤碑って古碑もあります。

 

多胡碑とあわせ、、、上野三碑と呼ばれ「ユネスコ世界記憶遺産」に登録されてます。

 

 

 

この辺りは、、、下野国(栃木県)と合併する前は「那須国」と呼ばれ、、、古くから大きな古墳の作られた地域。

 

大和王権の影響のある「前方後円墳」だけじゃなく、、、「前方後方噴」もあることから、、、狗奴国の影響のあった国だったんじゃないかな???その後、、、崇神天皇の皇子である豊城入彦命の子孫が納める毛野国(上野、下野、、、現群馬県、栃木県)に従うようになったのでその後は前方後円墳が出来た??(私はたかだか歴史が好きなおっさんなので自論ですが・・・・)

 

 

 

この頃の歴史って、、、空白の4世紀とか言われ、、、なんの資料も残ってない時代なんですよね、、、、新たな発見が出来たら、、、、歴史に名前が残るかも(^o^)