そうだ1月に四国へ行った時、愛南町の紫電改展示館へ行ったんだった! | タカチン日記~赤城の郷から伝えたい事~

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お遍路で愛南町の観自在寺まで行ったので、、、、10分ぐらいのとこにある紫電改展示館にも行きました。

 

 

 

昭和53年11月、愛媛県南宇和郡城辺町久良湾の海底40mに原型のまま沈んでいるのが地元ダイバーによって発見され、翌年7月14日実に34年ぶりに引き揚げられました。
 紫電改はゼロ戦に代わる新鋭機として終戦間近に開発され、海軍のもっとも優れた戦闘機だったと言われています。現存する、日本で唯一機です。

 

 

 

現存する機は4機しかなく、、、日本に現存する唯一の機だそうです。


海上に不時着したときのままなのでプロペラは曲がってるそうです。


操縦席にはご遺体は無かったそうでハッチから搭乗員の方は脱出しましたが行方不明になったようです。

 


 

旧日本海軍の艦上攻撃機「天山一二型」のプロペラ

 

 

昭和20年7月24日、、、豊後水道で21機で10倍以上の敵と交戦、、6機が未帰還だったそうです。

 

鴛淵孝少佐(享年25歳)、武藤金義中尉(享年29歳)、今井進一飛曹(享年20歳)、溝口憲心上飛曹(享年21歳)、米田伸也飛曹長(享年21歳)、初島二郎飛曹長(享年22歳)座席の感じから小柄だった武藤金義中尉か米田伸也飛曹長の機だと思われています。

 

今井さんは群馬県出身の方でした・・・・

 

武藤の妻・喜代子は未帰還6人の共通の遺品とするべきだとし、343空隊員や遺族により慰霊式が執り行われられここに保存、展示された。


お国のために戦いお亡くなりになられた方たちですからね、、、哀悼の真を捧げました。


どうぞ安らかに。

 




子供の頃、ちばてつやさんの紫電改のタカって漫画読みました。


子供心に戦争の悲惨さを感じながら読んでいましたね、、、いまもウクライナやガザで戦争が行われていますが、、はやく終戦になり平和が訪れますように。



海を見下ろせる景色が綺麗なとこでした。