どこかで2012年を振り返る日記を書こうとは思ったのだが、あまり面白い話はできなさそうなのでわざわざ知り合いに見せるのもなぁと考えていた水無月純さん。
そんな折、そういえば昔アメブロなんてものを作っていたなぁと思い出し、ここだったら大して知り合いの人も見ないだろうし丁度良いなという考えの下今こうしてキーボードを叩いているのだ。


思えば、自分の今後を占う一年だった。
何故か。一言でいうと、就職活動をしなければいけない年だったからだ。

今年の1月、僕は落ち込んでいた。これから始まる就職活動に対する不安に押し潰されそうになり、彼女と連絡を取ることで何とか自分の形を保っていた。
この月はまだ就職活動も本格的に忙しかったわけではないので、月の半ばまでアルバイトを続けていたり、週末はデートに行ったりしていた。

2月に入る。早い会社では面接が始まる。僕においては面接はまだ無かったのだが、書類を提出しなくてはいけない会社がいくつも出てきた為、この時期から僕の生活の中で就活という言葉が大きな比重を占めるようになる。
彼女とは、たまに遊んでいたと思う。相変わらずその事で気持ちを落ち着かせていた。

3月になる。毎日のように色々な会社に出掛けた。面接も少しずつ入ってきたのだが、この時期は比較的うまくいっていた記憶がある。
まぁ、僕は今日就職活動の話をしたいわけではないので、割愛する。
僕の誕生日は3月だ。彼女は今までにデートで行った場所で撮った写真を使った絵日記のような、アルバムのようなものを作ってくれた。

4月。面接で失敗することが多くなる。何度受けても面接が通過できない。
一度、彼女と通話をしている時に面接の練習をしてもらい、ダメ出しをされた時に僕の頭の中で何かがパンクして怒鳴った事があった。逆ギレだ。
今でもその時のことはよく憶えている。情けない記憶である。

5月。初めて選考で最終面接まで進む。自信を取り戻してきた時期であった。
本当に忙しい時期だったので、彼女とは時間を作って少しだけ会ったりする程度になっていたと思う。

6月。色々とあったのだが、結果から言えばこの月に内定をいただいた。
僕はすぐ彼女に電話をした。彼女は泣いて喜んでいた。「おめでとう、おめでとう」と洟を啜りながら彼女は言っていた。
「ありがとう」という僕の声は、無意識の内に出てきたような気がする。
あまりにも嬉しすぎて、幸せすぎて、だけど何故だか涙が出てこなかった事が印象的だった。

7月。僕の就職活動は終わったのだが、彼女は高校3年生でこの時期から本格的に受験勉強を始める。
思えば、すれ違いという言葉を体現するために存在したカップルみたいだ。
どちらかが忙しいときにどちらかは暇で、どちらかが暇になるとまたどちらかが忙しくなる。
僕と彼女の毎日は、そんなすれ違いの中で育まれていった。

そして8月になり、9月になり、10月になる。
この時期は取り立てて書くこともないように思う。
僕は何も考えず毎日を過ごし、彼女は毎日勉強のストレスの中で過ごしていた。

11月。彼女が自己推薦で大学に合格した。
真っ先に僕に電話をくれた彼女はまた泣いていた。嗚咽を漏らしながら、「受かったよ」と言った。
嬉しかった。でも、僕が内定をもらった時の彼女のように、泣いて喜ぶことは出来なかった。
その事が不思議だった。

12月に僕と彼女は別れた。
「あなたのことが好きなのかわからなくなった」と彼女は言った。
僕は、こんな時にしか泣く事ができなかった。
止め処なく溢れる涙は、彼女を責めるもののようでもあったし、僕自身を責めるもののようでもあった。
こんな時にしか泣く事ができないのかと。彼女を愛する為に涙を流すことはできなかったのかと。
僕は洟を啜りながら謝った。「ごめん」と。不意に出た言葉だった。
彼女はただ僕を見ていた。
その目には、涙が浮かんでいなかった。
僕はあの時、こういう顔をしていたのかもしれない。そんな事を思った。

また1月が巡ってきた。
僕に残っているものは、残り3ヶ月間の学生生活と、彼女と遊ぶために貯めていた貯金だけである。
この1年は、どんな1年になるのだろうか。
輝かしいものになってほしい。僕にとっても、また、僕とは別の未来を歩んでいく彼女にとっても。

別れてから2週間以上が経った。未練が残っているわけではない。
ただ、2012年という年を振り返ると、どこにでも彼女の存在があった。
それが、少しだけ寂しい気がするだけである。
今も僕は、気持ちだけ昂ぶって、それでも涙が流れないでいる。鏡で覗いた僕の顔は、別れた日の彼女の表情によく似ていた。
祐二へ
 今日、バイトから帰る途中にふと、楽器屋を見かけた。
なんでだろうな、何度も通ってる道のはずだったんだけど、今まではそこに佇む質素な店に気付くことはなかった。
 店に入ると、スラストというんだったか、お前が使っていた形のギターが置いてあった。思い出してしまったなぁ。お前の事を。そんなわけで、ちょっと手紙なんかを書いてみようと思ったわけだ。
 手紙を書いて、俺はどうしたいんだろうな?お前は、読んでくれるのだろうか。兄の拙文を。

 お前が死んでから、もうすぐ二年になる。時間の流れっていうのは、色んな云われ方をするが、やっぱり残酷だと思う。最初は信じられなくて、どうしても受け入れることができなくて、何もできない毎日が続いていた。毎日泣いて泣いて、飯も食うことができなかった俺の顔付きは別人のようになってしまった。

 それが二ヶ月もすると、受け入れてしまうんだ、お前の死を。いつまでも泣いているわけにはいかないと思い、普段通りに食事をすることもできるようになった。どこかで、引け目を感じながら。
 ただ、最近でも数カ月に一遍はお前の事を思い出して悲しくなる。丁度今のように。そんなところは、時間の流れにも少しの優しさを感じるべきなのだろうか。
 さて、お前が生きていた十八年という年月。本当に、短すぎた。
 たまに思う。俺が十八の頃何をして何を感じていたかということを。当然ながら、自分の命がなくなることなんて考えてはいなかった。お前はそんな時に未来を失ってしまったんだな。
 辛かっただろう、とは思えない。お前のことだし、死ぬ瞬間も何も考えていなかったんだろ?
 いや、これはそうであってくれればいいという願望でしかない。お前が苦しいとか痛いとか、そんなことを考えながら死んでいったなんて、考えるだけで辛くなってしまう。せめて、安らかでいてほしかったと願いたい。

 お前は俺が二つの時に生まれた。当然、お前が生まれた時の事なんて覚えていない。気付いたらお前は俺の事をお兄ちゃんと呼んでいて、俺はお前の事を祐ちゃんと呼んでいた。
 小さい頃はよくお前の事をいじめていたな。覚えているか?お前は本当にすぐ涙を流す子供だった。少しでも暴力を振るうと泣くし、少し馬鹿にしただけでも大声をあげて泣いていた。
 俺はよく覚えているよ。お前が流れた涙を舌の先で舐めて、「しょっぱい」と言って笑う時の顔を。すぐ泣くが、それをすぐ笑顔に変えることのできる奴だったな、お前は。
 毎日お前のことを泣かせて母さんに怒られる俺だったが、お前はそんな俺にすぐくっついてきた。お兄ちゃんお兄ちゃんと俺に呼びかけてはすぐに泣き、またその涙を舐めて笑っていた。

 俺が小学3年生の頃だっただろうか。40度近い大熱を出したことがあった。 結局あの熱は一週間くらい引かなかったんだよなぁ。布団にもぐってずっと寝ている俺の枕元に、お前は来てこういった。
 「お兄ちゃん、死んじゃうの」、と。
 死ぬわけないだろ、と俺が言おうと口を開いた時、お前は病人の耳に悪いくらい大声で泣き始めたな。何もそんなに泣くことないだろ、と思いつつも俺は本当に心の底から嬉しかった。
 「涙、なめろよ。しょっぱいだろ」と俺が促すと、「しょっぱい」といいながらお前は泣いていた。無理に笑おうとしていた泣き顔はしわくちゃになっていた。

 くそ。こんなことを思い出していると、なんでお前にもっと優しくしてやらなかったんだろうと悔しくて仕方がない。
 涙、しょっぱいな。本当に。しょっぱすぎて、笑えてるよ。本当に。本当に。
「何を考えてるんだよ!」
 ガス栓を閉め、窓を開け放った後、僕の頬を叩いて兄が言った言葉だった。
 なんだか、どうでもいい気分だった。窓の外から聞こえる喧騒も、部屋を照らす夕日も、風が木々を揺らす音も。全部が自分には関係のないものに思えてしまった。僕が立っている場所にいる僕が、知らない誰かに思えてしまって、自分がどこにいるのかわからなくなってしまった。
 計画性も何もあったものではない。ただドラマか何かでみたように、気付けば部屋を閉め切ってガス栓を捻っていた。後々知ったことだが、近頃のガスには一酸化炭素が含まれていないため中毒死はできないらしい。
 まぁとにかく、いつ意識が失われるのかと横になりながら待っていた僕の自殺は、学校帰りの兄に当然のように止められた。
 兄は、真面目な人だった。あの時は数時間に亘って自殺の愚かしさや、生きることの素晴らしさなんて歯痒いことについて語られたものだった。

 僕が企てたチャチな自殺計画。あれは、そうだ。僕が小学校を卒業する間際のことだったように記憶している。あの時から一年間くらいは、兄はいつも僕の動向に気を掛け、少し煩わしくも感じたものだったが、お陰様であれからはあの時のようなどうでもいい気分は味わっていなかった。
 あれからの一年間。兄は毎朝僕の部屋まで来ておはよう、と声をかけた。学校から帰ると僕がいるかどうかを確認し、久しぶりに一緒にゲームでもやろうと誘ってきた。
 僕が兄と話しながら笑った時、兄も嬉しそうな表情をしていたのがとても印象的だった。ほら、生きるとは素晴らしいことだろう、と、暗に言いたかったのだろう。
 兄と話しながら、不覚にも涙を流してしまったこともあった。そんな時、兄も泣いた。理由が先行した涙じゃない。心が涙を流すことを必要としていた。それは、きっと兄も同じだったのだろう。ひとしきり泣いたあと、恥ずかしくなって僕は笑った。兄はまた嬉しそうな表情をした。
 そう。僕はなんだかんだ言って兄に救われていた。生きることが素晴らしいなんて恥ずかしいセリフは出せなかったけど、自ら進んで死ぬ必要なんてないと思うようになった。

 そんな兄に、何があったのだろう。今になってもよく考える。そして、答えが出ないことに気付いて少し悄然とする。
 さすがに毎日のように声を掛けられることが無くなってから、一年が経っていた。
 夕飯の時間になっても兄が食卓に顔を出さなかったので、僕が部屋まで呼びに行った。声を掛けても返事がなく、ドアの隙間から僅かに漏れる蛍光灯の明かりが何故か不気味に見えたことをよく覚えている。
 鍵は閉まっていたが、爪を使えば開けられるような安易のものだったので、躊躇いなくドアを開け放つ。何の反応もない。それも当然だった。目の前にいたのは、天井から吊るされた宙に浮く兄だったから。
 兄の足元には、綺麗にたたまれた遺書が置いてあった。開いてみるとそこには見慣れた兄の字が四文字だけ。“許さない”と、書かれていた。