1991ウクライナは中立国として独立。

1994,12「ブタペストの覚書」

核兵器の返納と自国の安全保障の確約(米英ロ)

■武力をウクライナに対して用いない。

1997黒海艦隊の大半の引き渡しとセバストポリ軍港の基地貸与でロシア側と合意した。

(ロシア産ガスの借金のツケの棒引き)

05年~親欧米派ユーシェンコ政権は貸与を17年までの期限で打ち切る方針を決めたが、

ヤヌコビッチ政権は10年、ロシアと42年までの25年間の租借延長で合意。

ロシア語を地域の公用語に加えた同政権の融和策で独立運動は沈静化していた。

▲プーチンの約束破り。

 

あらためてプーチンロシアに戦争犯罪を引き受けるかどうかの動機および覚悟があるかどうかである。ブチャでは笑えない残酷さ“ブッチャー「屠殺」”のごときジェノサイドを行った。今でもウクライナの両手を縛ってウクライナの領土の一般家庭や施設にミサイルを撃ち込んでいる。ウクライナとロシアでは戦争は非対称になって戦場はウクライナであってロシアではない。。国際裁判所には強制権は無い。そして国連には“拒否権”がある。まずウクライナ国家における決定的な国民投票の実施である。(1)戦争の継続か否か(2)ロシアの意志ばかりでなく自ら中立国の招へい、移植を是とするかどうか。クルド人国家、パレスチナ人国家がどう選択するかどうかである。“中立国”であり“緩衝材”の役割を求められる。ただ新たな国家建設において、自由や、人権や、平和は日々自分たちが勝ち得てゆく普遍的課題になる。そしてロシアは軍備、兵の撤収の段階で“制裁解除”、国際社会の経済秩序への回帰が約束される。あとはルハンシク共和国とドネツク共和国のロシアへの移譲になる。「非ナチ化」「中立国」を求めていたのだからこの条件には異議がないはずだ。

■NATOの東方拡大をプーチンは口実にしている。

米政権はクリントン、ブッシュJrの時代にあからさまに東方拡大を支持。

 

23,12,9日「ウクライナ政府は敵対行動をやめ、ロシアの領土から撤兵しなければならない。新しい領土の現実を認めなければならない」(12,12読売新聞)

いやいや戦略的防御に入ったウクライナを今度は逆にそんなに簡単にプーチンは攻めきれるはずもない。

■ドンバス地域でルハンシク、ドネツク共和国軍にウクライナ軍は大負けし───

■しかし、特別な地位、高度な自治と云うことで親ロシア派は署名。

■プーチンは行政負担をウクライナに押し付け、両共和国を通じて

ウクライナの国政に介入をもくろむ。

 

■“お宝”ドンバス地域。

■ソレダル、岩塩鉱石も。

 

親ロ派組織が署名した『ミンスク合意』まで戻る。会議をいつもリードしたのはプーチンである。内容は分離派勢力地域の高度な自治、特別な地位のウクライナ憲法の改正であった。もたもたしてゐるうちにロシアはウクライナの不作為を口実に合意を破棄した。ドンパス地域はウクライナの工業地帯だ。それに大変な資源(半導体、電池)を埋蔵してゐるのだと云う。現在もすでにこの地域はロシアに大変な税収を齎してゐる。ウクライナは失うものは大きいが、ロシアはこれでメンツとプーチンは戦争指導者としての名誉が保たれるはずだ。落としどころにするにはNATO欧州、米国、中国、トルコ、インド、サウジなど大国の圧力が必要になるだろう。

 

(習近平22,3/8オンライン会談。マクロン、ショルツ)「国際社会と共に積極的役割を果たしたい」「対ロ制裁は経済の妨げになる」「各国の主権と領土保全は尊重されるべきだ」「各国の安全保障の懸念は重視されるべきだ」。

───「各国の主権と領土保全は尊重されるべきだ」は明確にしてゐる。

台湾のことを意識してゐるとも云えるが。

 

クルド人に対してはトルコが支援、パレスチナ人に対してはイスラエルが賠償と支援、ウクライナに対してはロシアが倍賞、と云う方程式はどうだろう。

ウクライナ復興にはすでに64兆円と云う試算が出ている。

韓国企業はすでにウクライナ政府とダム建設などで契約を進めていると云うことだ。

何十兆円と云うマネーが世銀などから動き出す。

 

戦争は個人では行うべくもなく、必ず国が行うことになる。その意味で国連も国家も諸悪の根源とも云へる。国家なんてついこの間まで在ってなきがごときもの、近代になって徴兵制と税制のためにメンバーシップ、つまり共同幻想が仕込まれ始めた。共同幻想とは信仰のようなものでそれでつい国の物語が急遽誂えはじめられたのだ。ロシアはウクライナは兄弟で、ウクライナは我々の土地である。それをモンゴルの元大統領はsnsで嗤った。

 

■「平和のために領土割譲に応じるる」。

 

チャップリン『独裁者』「私たちはみな、お互いに助け合いたいと願ってゐる。人間とはそういうものだ。相手の不幸ではなく、お互いの幸福によって生きたいのだ」(1889~1977)。

忍耐強く、地球規模の人類の理性を手放さなければ、格調の高い、静謐で美しい世界がすぐ隣にもあると云うことだろう。

 

倉石智證