この土地はどこを掘ったってイスラエルの土だ、イスラエルしか出て来ない。パレスチナのテロリストたちに死刑を。パレスチナ人は移住されなければいけない。一方ハマス達はイスラエル国家の存続を認めない。ネタニヤフの民族浄化は続くが、思考としてのハマスはパレスチナ人の血の中に盈々と残ることになる。そして引っ掻き傷か腫れもののやうに熱を持ちここまでお互いの憎悪が昂った以上、すでに「二国家併存」は死に体になった。第二次大戦後オスマン帝国は解体された。パレスチナの辺りは英国の信託統治になり、辺りは中東の人工国家が列強の権益のままに線引きされた。1948に国連でイスラエル国家の建国が宣言され、パレスチナ人にとっての最悪な悲惨“ナクバ”が始まった。居住を追い出されたパレスチナ人は近隣国、世界にディアスポラするようになった。

 

2023,10/7以降から始まったイスラエルの過剰自己防衛はパレスチナの人たちを圧殺するジェノサイドへと侵攻している。並行してウクライナ問題では執拗なプーチンによるウクライナ領域へのミサイル攻撃が続いてゐる。

 

ウクライナ危機は本当に世界にとっての危機になって来た。今年中にウクライナ分割がにわかに現実味を帯びてきたからだ。米国の議会でウクライナを含む“抱き合わせ予算”がトランプの一声で転覆した。一日1万発のロシア軍に対して、ウクライナ軍はわずか2000発の弾薬しか使えない。ドンパス地域で耐えて持ちこたえて来た象徴のような橋頭保までじわじわとロシア軍の肉弾戦の包囲網に苦しめられていると聞く。石油に端を発し、コロナ禍もあって、EUは低成長とインフレに苦しんでいる。庶民にとっては“いま、そこ”の暮らし向きが大事で、押し寄せる移民に極右政党が火を焚きつけ、支持を獲得、次第に分断のヨーロッパに陥っていくようだ。ウクライナ支援にも当然陰りが見えて来る。これらの陥穽は天の采配なのか。次第に待てば海路のプーチンになった。

 

ぼくらは何千年もの間営々と血を流し続け、つまり自由とか、平等とか、人権のために戦い続けてきたのはなんのためであるか。啓蒙時代が過ぎて人類と云う概念が定着し始めた。しかしおよそ人権なんて云う概念を手にし始めたのは18世紀の初めごろだろうか。“社会”が言葉として発見されたのも1900年のちょっと前だと云う。万人の万人の闘争から、リバイヤサン、国家権力、契約が発明された。国家権力は人民権力とのバランスの上に成り立ってゐる。村、地域コミュニティ、部族群属、国家への流れは必然のようだった。憲法やそして法律が作られる。あの西暦前のユダヤ人でさへも神殿宗教でなく、律法へとこだわりを持って行ったのだから。旧約聖書が作られる。神との最初の契約となった。しかし神との契約はイスラエル、大国アメリカで危殆に瀕し無効になりつつある。国家との契約は権威主義国ロシアや、中国、北朝鮮などで人民の人権を無視という形で横暴化されてゐる。ぼくらは大いなる人類史の岐路に立たされているのかもしれない。歴史は一つの国の歴史ではあり得ない。またあってはならないはずだ。

 

本来は平和を守るはずの国連常任理事国が力による現状変更、他国の領土と主権を侵害して、そのまま許されるわけにはいかない。人類が獲得し培ってきた地球規模の理性を、このまま容易く手放すわけにはいかない。

ぼくはいまこの地図をジーっと見つめている。なんとかピースを埋め尽くせないか。ピースがほんとに平和な文化民族の共生になるためにはどんな知恵が必要なのだろうか。もう一人の人でも死なないためには、一人の人でも殺さないで済むためにはどうしたらいいか。あらためて人工国家が可能であるかどうかが僕の重大なクエスチョンになる。今世紀の“ゲルマン民族大移動”である。ガザ、ヨルダン川西岸地区からそれぞれ約200万人強、約300万人強、世界に漂流するパレスチナ人も。そして国を持たない3000万人とも云はれるクルド人の国家建設である。プーチンの独善、横暴を止めさせ、同時に中東に存在するそれこそ人類の“棘”を抜き去らなければならない。

 

倉石智證