「速報で出すほどなのか新人事」

「七光り虹の色とはおおちがい」

「売り物は十一人と五人かな」

烏合、泡沫の衆の感が否めない。立ちあがって来るエネルギーが感じられないのだ。いま日経の『私の履歴書』は大島理森さん。多感であるはずの20歳前後の安保、反戦の時代風景をすっぽかしてゐる。ようやく時代は政治改革とPKO法にたどり着いた。しかし、宮沢内閣でいの一番にしなければならなかった不良債権処理、金融機関に公的資金投入に関して政治の流れを作り出すことはなかった。以後失われた30年に突入してゆくことになった。同年1946年生まれとなればまあ団塊の世代。戦争を知らない世代ではあるがしかし、三井三池闘争、安保、反戦闘争、ベトナム戦争など、後付けにはなるが沖縄復帰も含めて、日本がしでかした加害者としての戦争の影を感じないわけにはいかない。少なくとも政治家で雨ならばある種のシンパシー無しに素通りすることは許されない。要するに歴史観のない政治家は政治屋にひとしく、ただ一生懸命に目の前の政治の海をなんとか泳ぎ渡ろうとしているに過ぎないのではないか。

 

個人を論うのは止めにして、しかし、日本の政治の劣化は押しとどめようがない。日本の中であらゆる産業を含めて生産性のこの上なく悪いのは政治の世界だらう。中国は鄧小平の『南巡講話』の辺りからそのGDPは30倍ほどにもなると云ふ凄まじい成長を遂げている。民主主義は行き詰って、カネと時間がかかるシステムとなった。中国の集団指導体制はヒントだったろうか。白い猫でも黒い猫でもネズミを捕る猫がネコだ。右だ左だリベラルだジェンダーだ、なんて関係ない。ちゃんといい仕事をしてくれる人なら左右男女は関係ない。リーダーは大統領制に国民投票で選ぶ。それで首長になったら首長は自分の党から離れて、全部の党からプロフェッショナルを集めて、それこそ適材適所で内閣を組閣する。いまは共産党も含めてさへ、自民党も他の党も社会主義分配の大義に寄りかかってゐる。要は自民党も立憲さんだってリングの中央でクリンチしているにすぎない状態なのだ。立憲さんは分配においてはほぼ同じ意見であるのにお株をとられ、のしかかられて青息吐息。

 

だらだらと止めてくんないかいつまでも聞き耳頭巾さんは。善人の風が一番悪を為すというではないか。知らないうちにあれよと安保三法制、抑止の拡大はいよいよ闌り盛んに、敵基地攻撃は当たり前のような様相に、その上防衛費もGDPの2%を目指すと云ふ世間で云はれるほんとうに新しい戦前になった。

 

国際会議が続いた。G7ヒロシマ、BRICS、ASEAN、G20。この中で目立って頭角を現しているのがインドはもちろん韓国だろう。「G7で鮮明になった尹外交の巨大インパクト」と云ふ見出しが躍る。つまりユン大統領は日本の心まで信用したわけではなく、徴用工問題をきっかけに歴史問題で極東の日米韓の安全保障までハンドルしたと云ふことだ。一気に輸出規制解除、ホワイト国復帰、ジーソミア復活とお膳立ててくれた。どう考えてもこれらをお膳立ててくれたのは尹錫悦大統領の方だ。自身の韓国国内の方での政治的リスクをとって、政治的解決へとフォワードルッキング。安倍政治も含めて日本、ナニシテタンダ、といふことだらう。政治的に解決できると云ふことは、自ら作り出した政治的虚構にのっかり、国民をだまし続けていたと云うことになる。輸出規制などはまったく報復、こじつけだったと云ふことだ。政治の矮小化この上もないことだった。

 

G7では日本は「核禁止条約」まで踏み込めなかった。ユンさんも、モディさんもアメリカの議会にお呼ばれされる。G7後、その国家元首たちは雪崩を打つように韓国を訪れている。ドイツ首相が30年ぶりに韓国を「単独訪問」して明らかにした「日韓関係」大変化への「賞賛」は、ウクライナ危機も含めて、西側諸国の価値観を補強し、韓国が極東の安全保障のイニシャチブを取ったかのやうな賞讃である。

韓国は戦車も売れば、原発も売る。ベトナムでは投資の圧倒的なシェアを誇り、今回はインドにあらかじめ中東輸出を視野に入れた、輸出拠点を官民で進めると云うのだ。韓国は“リアル”である。韓国はそして“オモシロイ”。まったくこれら閣僚人事に欠けているリアル、オモシロサの無さは日本の社会全体を覆う閉塞感そのものの姿ではないか。