コストパフォーマンスのことだ。
中国をうらやんでも仕方がない。
一党独裁共産主義指導体制のなせる業だと、
しかし、中国こそは今現在、COVID-19 を抑え込み、
アンダーコントロールの下に世界経済において、圧倒的に一人勝ちの径を走ってゐる。
一人勝ちで云へばかって近くの歴史ではスペインであったり、
大ブリテンであったり、これらは海を制覇し、植民地主義の下で発展したものだが、
イギリスにおいてはせっかくの産業革命でぶっちぎりのはずだったが、
ナポレオン戦争もあって大量の国債を発行、
そしておよそその返済のために100年ほども費やしているうちに、
資本主義を駆動とし、石油資本の国アメリカへと、
世界の基軸通貨はポンドからドルへと変遷していった。
歴史が証明するように、経済で優位に一人勝ちした国が、
その後の世界史を有利に引っ張ってゆく。
さていよいよ中国の世界史となってゆくのだろうか。
第二次大戦では自国が戦場とならず荒廃を免れた米国のみが
圧倒的優位の下に世界経済をますます支配するところとなった。
むしろ世界における冷戦構造をバネに
市場と民主主義の優位を世界に売りつけていったことになる。
ドイツの勤勉、また我が国は焼け野原にならなかった優秀な官僚制の下に、
日本がGDPで世界2位に駆け上がったのは1968年のことであった。
一方米国はヴェトナム戦争後、かつ基軸通貨に胡坐をかいた放漫さもあって、
執拗な双子の赤字に悩まされ続けることになった。
1979“ジャパンアズナンバーワン”───まだ右肩上がりは続いていた。
貿易赤字についてはレーガン政権時代
1985「プラザ合意」でもってほぼケリが着いたかのように見えたが
それからも米国の執拗な日本叩きは止むことは無かった。
バブル崩壊とともにあれほどのわが世の春と酔いしれていた日本がいとも簡単に
1989,12株価3万8915円をピークに深い喪われた20年へと落ち込んでゆく。
1990東西冷戦は民主主義の勝利であるかのように終わりをつげ、
世界のグローバル化が一気に始まった。
日本はバブル崩壊とその後のバランスシート不況に。
ドイツは東ドイツ統合の負担にあえぎつつも、
EUにその最強のマルクを差し出すことに。
英国は鉄の宰相サッチャーの後にポンドショックと売り込まれ、
これ幸いと世界に打って出れたのが米国であり、
ペンタゴン発のインターネットビジネスはあっという間に世界を覆ってゆくところとなった。
クリントンは「ステュービッド、イッツエコノミー」とパパブッシュに打ち勝ち、
イラク戦争後は大きな紛争にそれほどに関わることもなく、
石油メジャーは世界のエネルギー資本を抑え、
その「平和の配当」は米国に双子の赤字の解消ばかりか大きな貯蓄すらもたらした。
ようやく“戒厳令”などと云ふ戦時の体制から抜け出て
アジアの民主主義が始まるわけだが、
シンガポール、台湾、韓国などの雁行は1990緒に就いたばかりだった。
1992「白い猫でも黒い猫でもネズミを捕る猫がネコである」と
鄧小平の『何巡講話』は韜光養晦とともに
その後の中国の特異の社会主義資本主義体制を位置付けた。
教訓として───
①戦争はするなと云うこと
②発展成長のためには資本主義はまだ有効である
③民主主義はコストと手間と時間がかかり過ぎる
───ポスト民主主義はどうあるべきか。
一方で世界に“中国需要”が否が応でも高まって来ている。
メルケルさんの愛と熱情にあふれる演説は私たちの心を常に打つところだが、
日本と同じ“自粛と補償”、“お声かけ”、ロックダウンごときなどなど、
相当のコストを垂れ流している様子だ。
日本の借金のそれはあれよと云う間にGDPの260%超え、
ドイツもメルケル政権で1兆円余りの財政黒字であったものが
あっという間に蕩尽の憂き目に、
米国も300兆円を肥える財政出動のようだが
それでもGDPの120%ほどに過ぎないと云ううらやましい限りだ。
日本の菅政権は完ぺきに間違えている。
中国の春節の移動は何億人と云ふ単位であり、
日本の“Go To”などの比ではないのである。
まずコロナを制圧する。
止血が先で、安心安全が庶民に心に行き渡れば、
政府があえて上から目線で費用を掛けるまでもなく、
庶民は自らほっておいても飲食、旅行、消費活動に繰り出すに決まってゐる。
学術会議に介入するがごとき、わが国にはイデオロギーにとらわれる前に、
宿痾のごとき傲慢さが“知的従順”さを蔑ろにしてゐる。
一衣帯水のすぐ隣に、コロナをそれでも事実コントロールしているお国が存在している。
礼を以てコロナ外交に行くべきだ。
すべてを教わって必要な法律も整える。
“Go To”や“インバウンド”がそれ自身悪いわけでも何でもない。
むしろそれらがそれすらも必要ないくらいに、政府の科学的司令塔の下、
デジタルコロナプラットフォームが構築されることが喫緊である。
コロナはせっかくのデジタル革命の最大のチャンスなのである。
野党もいつまでも民主主義の定義を事細かにほじくってばかりいないで、
すぐにでも野党外交を始めるべきであろう。
倉石智證