最悪、最低…と云いたい。

ヤスクニには軍人、軍属の方たちばかり240万柱。

サイパン以降日本国内だけで空襲等含めて70万人以上の犠牲者が。

東条らが1944,7/7のサイパン崩落を以って“バンザイ”と降参していれば、

あたらそれ以降の無駄とも云へる悲惨な国民の死は避けられたはずだ。

 

1944,8/22対馬丸事件

1944,10特攻隊

1944,11/11松代大本営着工(多くの朝鮮人の方が)

1945,2硫黄島の戦い

1945,3フィリピン戦線(日本人約60万人弱、フィリピン人100万人)

45,3/10東京大空襲

45,4/7戦艦大和沈没

45,6/23沖縄戦組織的戦闘の終了。沖縄県民の4人に1人が犠牲に。

45,8/6広島原爆14万人

45,8/9長崎7万4000人

45,8/9ソ連参戦。60万人以上がシベリア抑留。犠牲者は6万人以上

45,8/15敗戦

45,9/2ミズリー号で調印(終戦)

2016,12/28戦艦アリゾナでオバマ大統領と海に献花。

そしてその翌日にもう日本に帰って来てゴルフに興じてゐる。

防衛大臣稲田朋美は同じ日に靖国に参拝。

 

ヤスクニには赤紙を配った戦争指導者と、

赤紙によって死地に赴いた兵隊さんたちが

一緒に祀られてゐると云ふことだ。

嫌だって云っているのに朝鮮人の方たちも一緒になってゐる。

 

“最後っ屁”とでも云ふのだらうか。

正体見たり枯れ尾花…がっかりである。

サイパン以降国内だけで70万人以上死者に対しての、

責任の所在がまだ明確になってゐない。

 

死者を弔い祀る場所は静謐であるべきだ。

分離すること。

政治家が関わらないこと。

ものさわにこそ不必要なことだ。

それにしてもこの御仁には全く歴史に対しての誠実さが、

今更ながら欠如していることがはっきりと分かった。

やれやれである。

戦争は個人によって起こされるわけにはいかない。戦争は国家によってしか引き起こされないものだ。その国家は国民一人一人によってなされてゐる。ぼくはアナキストではないが国家が諸悪の根源である、と云ふ思いがますます強くなっている。国家はなんによって一体維持されなければならんのだらう。すべての国家がすべてのその国の地域のコミュニティーに権限を分割してしまったらどんなふうになるんだらう。国家“中華”と云ふのが無ければ、そもそも国家などと云ふものも共同幻想に過ぎないものかもしれないが、習近平ご一統さんも、あんなに世界に対してシャカリキになる必要もなくなるかも知れない。金正恩も押し重なる天災もあってかなり苦しさうだなぁ。ところで外交の基本は、失礼ながら相手国が苦しい状況の中でこそ、一気呵成に攻めまくるものだが…だめだねえ日本は。

 

倉石智證