「武漢から『方方ふぁんふぁん日記』届くときみんな目覚めて微博うぇいぼー覗く」
一つの国が文明国家であるかどうかの基準は、
高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、
武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、
科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、
さらに、派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、
おカネの力で世界を豪遊し、世界中のものを買いあさるとか、
決してそうしたことがすべてではない。
基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である。
集団的な沈黙は一番怖い。
一つの声しかない社会は健全な社会ではない。
1947丸木俊「解放されゆく人間性」
閻連科えんれんかさん
「(当局の発表前に新しい感染症を知人らに伝えた武漢の医師)
李文亮のように警鐘を鳴らす人になれなくても、
その声を聞き取れる人になろう。
大声で話せないなら、耳元でささやく人になろう。
ささやくことすらできないなら、黙っていてもいいからおぼえている人になろう」
まさにいま中国で、「ドラや太鼓」が響いている。
人々の歌や踊りは権力からの指示とは限らない。
誰でも悲しみや苦しみを抱えて生きることはしんどい。
国家や組織の「勝利」に身を委ねて、悪者をどこかに求めたくなる。
倉石智證