▲社会保障費対応予算はほぼ借金によって賄われる。

 

ついに国家財政は101兆円を超えてしまった。

その間、国と地方の借金は1200兆円を超えた。

国民全体の医療、介護、健保、年金などの全体の社会保障費の支払いは

年間すでに140兆円以上。

国家予算の内、社会保障費の支払いが約34兆円で、

2018年度の国債発行額が32.7兆円。

つまり、社会保障費の予算のほとんどが借金で賄われていると云ふ現実である。

国の年金の貯えがGPIF=約120兆円で、去年は運用で数兆円のマイナスを出した。

いずれにしても国民の今のところの資産は危うきに瀕しているのは事実で、

安倍政権の“アベノミクス”は借金経済の運営と同義語に近く、

しかし、どんどん借金する割合にGDPが伸びていないのは周知の事実である。

借金し放題で、しかも日銀によるほぼ“財政ファイナンス”もあって、

それて国家経済を回すなんてことは児戯にも等しいことであって、

しかし、うわべを取り繕った安倍政権のやってる感に、

国民は、特に若者たちは喝さいに近い支持率を表出させている。

“茹でガエル状態”は果たして今どのくらいな体感なんだらうか。

老人や、引きこもりなど社会的弱者を中心に様々な事件が起こり始めた。

 

国家が若い時は日本の高度経済成長の時のやうに、

たくさん食べてエネルギッシュに活動する若者のやうに均衡利率はそれなりに高く、

インフラに、設備投資に、流通、小売り、娯楽、サービス業、

すべての数値で上向きになった。

いわゆる動脈経済であり、“金の卵”と云はれた農家の次男坊以下の若者たちや子女が、

大挙して都市に、ベルトコンベアー地帯に集団就職として送り込まれた。

農村地域でひと苗で80粒から100粒くらいのおコメの生産性が、

都市や工業地帯で一気に数百円の豊かさとなって国民を潤していったのだ。

必然の生産性革命もしかし、“ルイスの転換点”を過ぎると、

つまり都市や工業地帯のあるレベルの労働者がもう満杯になり、

もう要らないと云ふころになると、

そろそろ経済も低成長の時代にいやおうなく入ってゆくことになる。

日本ではすでに1972年ころにはその兆候が表れ始めており、

あの『所得倍増』を実質リードした経済学者の下村治が警鐘を鳴らした。

すなわち身の丈経済のことであったが、

奇しくも72年はローマクラブの「成長の限界」と地球のサステナブルの論文の提出も重なった。

しかしその後田中角栄の列島改造経済は美濃部都政を引き継ぐかのやうな

正真「社会主義経済」でもあって、折からの石油ショックが拍車をかける、

日本経済はインフレと、政府は歳入欠陥があらわになった。

ついに大平内閣になって初めて消費税の導入を掲げたのである。

 

所得倍増を打ち出した池田勇人は、

「人間の勤労の能率をよくし、生産性を高める」公共事業と、

「勤労者に対する」減税を政策の柱に据えた。

 

(貯蓄 - 投資) + (税 - 財政支出) =経常収支/国民の稼ぎに近い。

経常収支(GDP)

経常収支(GNI) =純輸出、海外配当金、サービス輸出等

可処分所得(消費へ)は=所得 - 税 - 貯蓄

賃金はコストであると同時に demand 需要(消費)でもある。

 

勤労する民の生活基盤は貯蓄だった。

貯蓄は勤労の証しであり、かつ、

老後、教育、健康、住宅と云った暮らしの防衛線にもなる。

貯蓄は銀行等を通じて経済の信用創造をキックしてゆく。

『吉田ドクトリン』を引き継いだ池田内閣はオリンピックのインフラ投資も功を奏し、

1964頃には早くも国民の所得倍増を実現させていた。

花開く労働は国民の、人間の本能であるかのやうだった。

 

倉石智證