危ういね。

この国は。

情けないね、国民は。

歴史の分岐点になるな。

沖縄は誰の国のものなのか、だな。

沖縄はますます米国のものなのかな。

日本国憲法よりもますます地位協定の方が上になる。

結局、“金目でしょう”・・・と云ふことなのかな。

理性である人間を手放してはならない。

 

普天間が使いづらくなったので、

新たに最新式の不沈空母を辺野古に作り出す。

中国の南シナ海の埋め立てを非難できないね。

米国と日本政府はよってたかって沖縄を埋め立ててゐる。

「拡大抑止」て云ふ。

その先にあるのは北朝鮮などと云ふちっちゃな問題ではないね。

アメリカの国益の最大の関心事は台湾に在るのは明白だね。

“前方展開”は台湾海峡だ。

 

peopleと云ふのは人民だ。

市民には納税と選挙がある。

大衆と云ふのは右往左往する。

庶民と云ふのは暮らしに熱心だ。

ポピュリズムは眼先に食い込んで来る。

理性は遠い未来や、高い普遍をいつも考えやうとする。

政治的プロセスにさらされ、確かにひとり一人がよく考えることで一般意思が生まれて来る。

混沌や、停滞や、鬱屈や、不安や、ましてや恐怖の中では、

「ではどっちを選ぶの」と問われたら、

アドバンス、「前へ」を選んでしまうに違いない。

ナチスの手に倣へ。

ワイマールの中でそのやうにして巨魁ヒットラーは生まれて来た。

 

民主党から立民まで───。

“反対のための反対”ではダメだったと云ふことだ。

猛省を促されるはずだ。

現市政は“停滞”であると断じられた。

平和や、環境を訴えるだけではダメだと云ふことだ。

もうイデオロギーの時代はとっくに過ぎて、みんな手にスマホの時代になった。

「二見情話」の感情論の世代も遠くになり、

停滞の問題を作り出している張本人に思われ始めた。

では今にリアルとはなんであるかを開発しなければならない。

給食無償化などで済まされるはずはない。

なにしろ“4人に一人”だ。

 

もう一度歴史に立ち返って丁寧にそれこそその理不尽さを

草の根で説明、物語すべきだったのだ。

軍隊は国民を守ってなんかくれないよ。

国民は軍隊の危険性から限りなく遠くあるべきだ。

「国民の命と財産を切れ目なく」と云ふのに沖縄は含まれていない。

1952,4/28沖縄は日本国憲法から外された。

1972,5/15まで車は右側通行、マネーは㌦、日本内地にはパスポートが・・・。

しかし、復帰は本當に為されたのか。

現に憲法は適用されてゐないではないか。

国民を一人一人敬へ。

 

米国の戦争は、南北戦争以外は自国が戦場になった例は、

あのパールハーバーしかない。

米国の世界秩序と、米国による米国の国益とは、米国以外での戦場であることだ。

ソウルが火の海になろうが、沖縄が焦尽されやうが、たいした問題ではない。

アメリカの民主主義にはマネー(ウォール街=ユダヤ資本主義)が入り込んでゐる。

民主主義によって富を稼いで、富によって民主主義を弑している。

日本も右に倣えと、この資本主義の世界では、

結局また“金目でしょう”と云ふことになった。

 

米国のコミットメントは常に意識的に自己本位なものであり、米国政府は長年、国際的なルール作りに対して相反する感情を抱いて来た。1945以降の戦後処理は、友好国と同盟国に平和と繁栄をもたらしたいという利他的な願望と同じくらい、米国の覇権を確保することが目的だった。(By Philip Stephens 2014,12/5日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

 

日本は危うい。

民主主義は危うい。

それはブレグジットのことばかりではなく、

人間のある種の本能にもまつわることでもあって、

今では「ほら朝鮮半島が」「ほら尖閣諸島が」「ほら慰安婦が」などなどと突きつけられて、

では『9条』はどうなの、て云ふことになったら、

あっさりと国民投票でまたしても自民党安倍政権の手の内に落ちることは明白だ。

自民党は大きな物語をもって虎視眈々とその物語を実現して来た。

「憲法9条」は剣が峰である。

日本国の性格が変わる。

名護市長選は日本の分岐になった。

情けないぞ、立民、民進党───。

だから河野大臣に「お花畑理論」などと揶揄される。

 

 

倉石智證