■17,10,17朝日新聞(ロナルドレーガン)
2日、香港に寄港した米原子力空母ロナルド・レーガン。16日に始まった米韓合同軍事演習に参加する=AP
問題は「生産性」の問題である。極東に平和をもたらし、よって風通しを良くする───。
"包括的"ではなく二項に分けて解決を図る。核問題は米国の専権事項にして日本は拉致問題に注力する。すでに手詰まり感のある圧力と対話ではなく、立憲民主党は圧力と『国交正常化』のアナウンスメント(公約)をする。公約は国内ばかりではなく、韓国、北朝鮮、米中ロを意識したものでなければならない。文在寅さんはただ今、その対話路線は中国と米国の挟撃に遭ってゐる。中国はマネーのスワップ協定の延長をせず、米国は韓国とのFTAの見直しに着手。文在寅さんは前から対北朝鮮では独自外交を意識し、それには日本の協力も不可欠であることを述べられてゐる。『国交正常化』を提案するチャンスではないだらうか。国交正常化交渉には文在寅さんもオブザーバーで、過去の植民地主義に関しては、韓国と北朝鮮に同時に謝罪することになる。1965,6/22の「日韓基本条約」の無償3億㌦、有償2億㌦、民間3億㌦を参考にする。総額=約8億㌦は当時の大韓民国の国家予算のおよそ=2.3倍だったと聞く。補償の技術的なことはともかく限りなく現物支給になることは当然である。今がどん底だとしたら、ほんとうに今がチャンスではなかろうか。いやな言葉だが「金目でしょう・・・」。いやなら止めましょう、と云ふことにすればいい。米国は即座に猛反対して来るだらうが、そんなことは構ってゐられない。金丸信の時も結局邪魔されたやうだが、今度こそは文在寅さんと手を組んで独自外交を貫く。
仮定としてⒶ確信を以て「抑止論」として自公などによる安保法制、日米同盟強化、"核の傘"、「圧力と対話」を主張し続けるのならば、それすらもあくまで仮定の領域を出ていないわけだから、一方として仮定としてⒷ確信を以て「圧力と対話」ではなく「圧力と『国交正常化』」を打ち出してもいいわけだ。むろんこうしたアナウンスメントはどのくらい当該国の心に響くものであるかがポイントになるわけだが、現時点では北朝鮮も米国も含めてすべての関係国が手詰まりの状態に陥ってゐることを考えれば、政治のリアルとしてはこちらの方が可能性、実効性があるのではないか。そもそもが国連五大国が核兵器を有し、それが恰も世界で許され、そして暗黙も公表も含めてプラスアルファの国が核を保有してゐる現状で、かつ、フセインもカダフィも核を保有してゐなかった故に血祭りにあげられた、と云ふのは金正恩王国にとって極めて死活の問題で、その論理には全く破たんはない、また「自衛の為」と云ふ文言は、戦前、戦中、戦後になってさへも日本国が四六時中使っていた言葉で、有体に云へば至極当然と云へば当然と云へる。
ワシントンやロンドン軍縮会議を思い起こしてほしい。例えば主力艦「5・5・3」に対して日本政府は早くも1934に戦艦大和の建造を提出してゐる。勇ましく国際連盟を脱退した翌年のことである。かほどに自国を守ると云ふ政治道徳は歴史の危険に常にさらされてゐるわけだが、そのことを他の国が公平性の観点からは否定しさる根拠はなく、逆に世界秩序を守るためだと云ふ詭弁性はどこか嘘っぽささへ感じる。戦艦大和が今、北朝鮮では核ミサイルになった。「満蒙は日本の生命線」は「責任ある核ミサイル大国たるべきは我が北朝鮮の核心である」はまったく同意義になる。この点で、満州の革新官僚だった若き岸信介を祖父に持つ首相安倍晋三は、私はむろん正恩の方を持つわけではないが、少しは忖度し、惻隠の情を感じてもいいくらいではないかと冗談も云いたくなる。しかし当時、日本は次第に孤立化し追い詰められ、それはABCDラインをもって完成するわけだが、議会に歯止めが無くなり、シビリアンコントロールが埒外になり、大政翼賛の国はまっしぐらに奈落の底に落ちて行ったわけだが、北朝鮮ばかりかどこか現在の安倍晋三内閣の姿を彷彿とさせるところでもある。
あまりにも安倍首相がトランプ大統領に、「イエス、イエス、イエス」と追従するので、首相は米国に戦争をしてもらいたがっているのではないかと云ふ勘ぐった意見まで出て来てゐる。ソウルが火の海になるのは明らかだ。沖縄も横須賀も、苅羽原発も狙われるだらう。正恩にしてみれば人質に取ってゐるとは云へ自国民の命の垣根は、それは限りなく低く、いつだって、かって亡国の日本軍がそうであったやうに、軍隊が国民を守るなんて最終的にあったためしがなく、何時暴発してもおかしくないのだ。米軍の爆撃機BiBに寄り添って日本の自衛隊機F35が北朝鮮空域の近くまで行って飛んだ。憲法9条は「武力による威嚇ないしは…」と謳ってゐる。国際紛争を解決する手段としてを簡単に越境してゐるのである。
その上で米国には過去の2回の世界大戦での成功譚が逆トラウマとして残ってゐる。それは何處が焼け野原になっても米国本土以外であったら少しも痛痒しないと云ふことだ。第1次大戦でもそうだったし、むろん第2次世界大戦でもそうだった。むろん多くの米軍兵士が犠牲になったのは事実だが、国土自身が犠牲になったわけではなかった。お蔭で第1次大戦でも戦争太りしたことだし、第2次大戦では米ドルの世界基軸は確実なものになった。餓えて疲弊した欧州や中国、ソビエトや日本をしり目に世界のGDPを牛耳るほどになったのである。あの「マーシャルプラン」でさへ、決して単なる慈善ではなく、深い米国の(ユダヤ資本)の戦略があったと云ふのが定説である。沖縄でまた米軍のヘリが墜落した。しかししっかりした謝罪もなくその態度は傲慢で、相変わらず沖縄県民の感情に無関心だ。ヒステリーのやうに反応した「9.11」の自国本土での時はともかく、引き続きよその国の地べたの上のことなんて大した問題ではないらしい。
北朝鮮は必ず核を持つであろう。ミサイル技術も米本土を狙えるところまで高めるはずだ。どんなに国民が飢えたって金正恩王国を維持するためには核強大国を目指す。私たちは何を念頭にしなければならないのだろうか。我々日本人はなぜ二つの原子爆弾を引き受けたのか。二つの原子爆弾を引き受けた今に至る歴史の摂理のやうなものはあるのだらうか。アラモゴードで開発され、それは私たちの上でさく裂した。それは今に至る世界に発信され続ける「ミズヲクダサイ」なのだ。私たちは必ずしも被害者だとばかりは云はないが、米国が私たち日本や世界に対する加害者であったことは確かだ。「閣下。私の手は血で汚れている」とオッペンハイマー博士はトルーマン大統領に云った。一説では「気にするな。洗えば落ちる」と云ったとも云はれる。オッペンハイマーは必ず世界における核拡大競争に陥るであろうことと、たとへば貧しい国でさへも核爆弾作成は可能であることと、第3次世界大戦による人類の滅亡までも予感したのだ。"リトルボーイ"はアメリカで生まれた。ビキニ環礁で第五福竜丸は死の灰を被った。イスラエルの核保有を認め、率先してインドとの原子力協定を結び、インドの核保有を追認したのも米国だ。オバマさんは「核無き世界を」、と頑張ったが、トランプの米国は「核禁止条約」には全く否定的だ。もろもろのすべての流れの上に米国は位置し、存在してゐる。北朝鮮問題に関しては包括的ではなく二項に分けるべき。核問題は米国自身の専権事項であり、充分にその資格があることは言を俟たない。
倉石智證