(日経「大機小機」17,5,25)

「憲法を10年変えなくても日本が自壊することはないが、消費税を10年上げなければ、この国は戦わずして滅びるかもしれない」

 

「歯がゆい」と仰っているのだから、ここは是非三顧の礼を踏んで、大顧問にお願いしよう。"オンカロ大将"だ。そして例のインパクトを持って北朝鮮に行ってもらう。将軍様はまだ若いが、父正日と握手した人だ。礼を持って迎えてくれることは間違いない。「金目でしょ」と軽く云ってしまったのはあの人だが、まま正直なところ、請求権の資金を受け取りたいのはやまやまならむ。では、誰が露払いをするの、と云ったら、やっぱり蓮舫さんしか思い浮かばない。露払いとは謝罪の旅のことで、それはまず中国であり、やはり一衣帯水の韓国になろう。

 

民進党さんは内側、つまり国内では自民党のクリンチに合ってゐる。政策的非効率のドツボにまんまとハマって「鳶に油揚げ」(前原代表)、すべてにおいて存在の水澄ましに落とし込まれてゐるのだ。オンカロ大将の耳元で囁く。「ノーベル平和賞をとりに行きましょう」───。

 

日本国内ではほぼ政党政治は意味をなさなくなってきているのではないか。教育、医療、年金などの社会福祉は、財源の手当てもないまま、保守も、リベラルも同等に声を張り上げる。悪魔の民主主義だ。国の借金はどんどん際限もなく増えてゆく。保守によるバラマキも、リベラルによる分配も、その根っこにある取り扱いは大差はない。

 

民進党さんが勝ちに行くのならそれ相応の脚本が必要だ。私が脚本だ、と云ふのは、自民党には長い年月をかけての非常に周到と云ふ他はない脚本があるからだ。それは憲法改正であり、究極的には「9条改正」であり、いかにも普通の国にしやうと云ふ日本会議も含めた筋書きである。そして、それは投票率50%、自民党支持率およそ25%といふ民主主義の不思議な危険極まりない基盤の上でかなりのスピードで確信的に進められてゐる。

 

例えば民進党さんの一つ一つの政策とは消費税であり、安保であり、原発であり、しかしそれは現実を捉えたある方向からの面でしかあり得ない。それはあまりにも大衆にはすでに繰り返し分かり過ぎていることであり、陳腐であり面白みに欠ける。大衆が望んでいるのは筋書きであり、分かってゐても思わず引きずり込まれてしまふやうな物語りであり、つまり本当の虚構をイリュージョンとして提出出来なければならない。そしてこれをドラマに仕立てるためには面的であるばかりではなく時間軸が必要になるのだ。脚本、脚色、監督、俳優、それぞれが物語の中で活き活きと動き始めなければならない。中国で云へば「韜光養晦」「走出去」「反発優位」「制度的発言権」…。概念を設定し、それに対して着々と駒を進めてゆく。その流れの中で「海と陸との新シルクロード構想」が浮かび上がり、実態としてAIIBが浮上してきたのだ。

 

中国はすでに世界史に関わって来てゐる。日本は憲法改正など、世界からもほぼ関心さへもされてない事柄に撞着し、政治の世界を非常に小さいものに押し込めてゐる。きわめてさみしいかぎりと云はざるを得ない。

 

話を戻す───

とりあえず面的にはキーワードは「核」になる。国内ではフクシマであり、原発政策。国外ではNPTやCTBTなど、とりあえずは直截的には北朝鮮だ。"金目"に道筋を付ける。用を為さない「六者協議」に距離を置く。とりわけ話を前に進めるためには米国、つまり「日米同盟」に距離を置く必要が出て来る。冷戦時代でも「日ソ共同宣言」、「日中共同声明」などではあからさまに米国の横やりが入って来てゐる。田中角栄のロッキード事件"はめられた"も…それらが背景にあるのではないか。竹島、尖閣においても、領有権に関して曖昧にしたのは後々米国が極東に関与したいがための戦略だったと云われてゐる。同盟においては友情はもとより真理などははなからないのであって、あるのはお互いの国益ばかりのことなのだから、まず自国を優先するのは当然のことになる。

"包括的"は諦めましょう。日本は「拉致」に専念する。核・ミサイルは凍結、で始めましょう。米国はすぐに嫌がるでしょうが、若い将軍正恩が望んでいるのは、核・ミサイルでは米朝の対話と、合意を望んでいるわけであるから、もう米国に義理立てするのはおいて置いて、「拉致」と「国交正常化」にまい進するのです。さあそこで、"オンカロ大将"に囁くのです。「ノーベル平和賞をとりに行きましょう」と。ドラマは創られなければならない。

 

倉石智證

たいていのことの歴史的遅循や怠惰、それによるわだかまりや不都合は「戦争物質」と我々の前に横たわる「歴史認識」から発生してゐる。ドラマを創り、始めるためには漸進的にこれらの戦争物質に対してのまず除去(棚に上げる)、そして横たわる歴史認識に対しては"謝罪の旅"がまず必要かと思われる。

 

1970,12/7西ドイツ首相ビリー・ブラントの「ワルシャワでの跪き」

あそこから、欧州の新しい歴史が回転し始めたと云っても過言ではないのだ。

明らかにドイツの今に至る生産性もこの時を起点としている。

 

一つのヒントとして、今回は「公約」を打ち出すにあたって、韓国文在寅、北朝鮮金正恩、中国習近平辺りを意識した「国外用の公約」を打ち出すのも手ではないか。特に現在は韓国とは逆に親和性があるはずだ。中国による例の"手法"により韓国ロッテは現代自動車などはひどい目に遭ってゐる。我が国も2012,9/15平和堂デパートメントなどが襲撃、泥棒に遭ってゐる。

トランプでは危なくてしようがない。韓国は「指揮権」を米国から取り戻したい。日本も日本国憲法に於ける、はっきり云って米国から沖縄を取り戻さなければならない。文在寅は頻繁に「韓国が主導的に」北朝鮮との対話路線を進めたいと表明してゐる。その上で「日本との協力が絶対的に必要だ」とまで云ってゐるのだ。側面から協力し合う。日本は「国交正常化」を進めると、民進党さんは世界に公約すればいいのだ。

 

北朝鮮は聞き耳を立ててゐる。中ロは必ず賛成の方に傾くはずだ。米国とは距離を取る。それはドイツが1960年代の終わりの頃から意識し始めた東方外交でもあった。