■「これはあなたのもの」ロアルド・ホフマン

隠れ家の日々───殺された人たちを伝え続ける責任。

 

1943年前後───

スピネッリは「超党派で統合しなければ、欧州の未来はない」と云った。スピネッリは収監されていた。その頃ロアルド・ホフマンはロアルド・ホフマンでさへなく。6歳の彼はバケツの中に排便をする。屋根裏はマイナス25度だった。隠れ家では毎日、デューク家と二つのバケツを交換した。一つは食糧で、もう一つはトイレ用のバケツになる。バケツには謝礼に金貨や宝飾品を渡した。

 

スカーフを巻けば物語はいきなり現在に移る。夏の盛りでは闌る凌霄花がそれの承認になり、積み重なる雲はそれらをあらかた俯瞰する。渋谷のスクランブルには人がどっとあふれる。老婆となった母は椅子に腰を下ろし、舞台に細々と明りが照らされてゐるばかりだ。自由とは何か。何によって証明されるのか。飢餓とは何か。それは人格にさへも関わるものなのか恐怖とは何か。訴え得るものなのか。指が激しく震え始める。懇願なくしてはいつまでも椅子に座り続けるわけにはいかない。子供はロアルド・ホフマンと名前をドイツ風に変えてアメリカへ渡った。

 

ムソリーニが木につるされてスピネッリはベントテーネ島を出た。ジャン・モネは相変わらずコニャックを商ってゐる。EUへの出発点はもうすぐそこまでやって来てゐた。

 

「あなたに教育と住むところを与えてくれたアメリカを大切にしなければなりませんよ」と母親は私に云った。私は舞台の脚本を書き、デューク家の夫人はアメリカにわたしの母親を訪ねる。母もデューク家の夫人も老いて。そして、椅子に座る母親にデューク夫人は指輪を差し出すのだ。ユダヤ人を匿ったのは徳のためばかりではない。いいえそんなことではなく・・・すり寄るやうに二人の視線は激しく交わる。ウクライナでは多くの普通の人たちがナチスに加担したことを知っていました。スポットを浴びた指輪が宙に浮かび上がる。真実を無理に話そうとするときにどうしても口唇が歪む癖がある。

 

「それはあなたのもの」です。私のものではなく「それはあなたのもの」でわたしは知りません。密告でおとうさんがナチスに殺されたことは忘れることは出来ません。永遠に押しとどめて言葉は舞台に反響する。そのとき舞台に和解や抱擁を勧める人もあった。それはもちろん善良なデューク家への対価であって、でも私は未だ国家と云ふものを許したわけではありませんから。

 

豊満なメルケルさんはEUのお母さんのように微笑んでゐる。一方、分断へと欧州は急いでいるかのやうにも見える。ナチス的な物事は世界のいたるところに存在して、それはどうしても同質なものへの統合を思考する。装置としてのヤスクニであったり、装備としての日本会議てあったりする。憲法9条まで変質をきたし始めた。民進党の代表戦が始まった。

 

レジスタンスたちは、多くの血を流している。アラゴン『フランスの起床ラッパ』1945から

「薔薇と木犀草(抄)」

神を信じた者も

信じなかった者も

麦が霰にうたれているとき

気むづかしいのは愚かなこと

共同のたたかいのなかで

たがいに争うのは愚かなこと

──────

ブルターニュから ジュラの山から

蝦夷苺よ すももよ

蟋蟀もなお歌いつづけよ

語れ フリュートよ セロよ

雲雀と燕とを

薔薇と木犀草とを

ともに燃えたたせた あの愛を

■祖国を侵略した外敵を前にして、共産党員とキリスト者が共同して闘った

祖国愛と統一戦線をうたったのである。

 

 

我々はそしてそれを「方便」と云ふ。アメリカをはじめいたるところに帝国主義的国家主義が伸張してゐるこの世界で、帝国主義がいとも簡単にファシズムに変容し得るかは過去の歴史が示すとおりである。現在粛々と日本国で進行してゐるのはかってしばらくなかった国家主義の兆候であるのはあからさまだ。自民党は民進党にクリンチをしかけ、ちょっとまえまで民進党の政策を丸抱え、小選挙区制度もそうだが、政党政治すらもうあんまり意味をなさないのではと悲観的にならざるを得ないところではあるが、しかしながら、このまま復古主義的日本に国家主義が桎梏されることになるのを傍観するわけにはいかない。

 

アラゴンの『フランスの起床ラッパ』───

第4の自民党の補完政党は要らないのである。共産党も含めて協調共闘せざるを得ない。我々に必要なのはこの大きな国民にはほぼ目隠しの状態で進んでゐる安倍政権の大きな野望に対して、その壮大なフィクションをとりあえずせき止める別な大きな物語を提出することである。国家主義に対しての市民主義をこれからもっと精査しなければならないのだが・・・

 

今日はここまで

 

倉石智證