慰霊、慰安、慰撫、平安、平和を祈る、祈り…治癒、寄り添い…

もはやこれらの言葉の限りに於いて、このお方の右に出る人はゐない。その慈しみは等しく国民ばかりか世界にまで照射する。初めて国民の前に膝をお付きになられたのはあの雲仙普賢岳の災害でのご訪問の時かと聞く。常に象徴とは何かとご自身で反芻なさっておいでになった。陛下におかれてはその悲哀に於いて国民目線になられたのだ。慰霊、慰藉の旅は未だ続けられてゆく。

 

さて、この筋金入りの仁慈のお方に対して、このお方の場合はどう説明したらいいのだらう。昨年12/25千葉でゴルフ(英気を養って)、稲田朋美防衛大臣を伴ってオバマ大統領の待つハワイへと出かけた。日本の歴代の首相として、パールハーバーのアリゾナに慰霊するのは初めてのことである。しかし、外交と云ふ政治的趣であったことは芬々である。レジェンドを作り上げ、政治的に点数を稼ぐ。戦争などと云ふもの事を実際にも知らないし、伝聞においても間接的に終戦からはるかに遠い世代となった若者たちにはそのTV等で映し出される姿は、オバマ大統領と並んで、シーンの中での主人公のように感覚されたことだらう。

 

12/28の慰霊の詳細は省くとして、稲田朋美大臣は翌日の29日、靖国神社に慰霊してゐる。そして、ゴルフ場に休暇を取った安倍首相はその防衛大臣のヤスクニに対しては「ノーコメント」、コメントしないと云ふ態度をとった。

パールハーバーも靖国も、当然先の大戦に深く関わる存在である。事実の重さにもかかわらず、出掛ける前にゴルフ、帰って来てから翌日すぐにまたゴルフ。一国の首相としてその態様はあまりにも軽すぎると、誠実さにどこか欠けていると云はざるを得ないのではないか。真珠湾攻撃に於ける米軍側の犠牲者は民間人も含めて約2400人と云われている。ただそこから累々たる屍が、ジャングルに草むす屍、海に水漬く屍と積み重なって行ったわけだ。その片方の靖国に、戦争指導責任者の東条英機らが祀られてゐる。安倍首相のアリゾナでの慰霊は辻褄が合わないばかりか、世界史に対しての皮肉としか云いやうがない。

 

 

「ゲバラに、広島に行ってみろ」と云われた。

■カストロ議長

 

オバマ大統領16,5/27広島を訪れた。そこにたどり着くのには日米ともに長い道のりであった。2009、4月5日オバマ大統領がチェコの首都プラハで核兵器の廃絶を唱えた演説を行った。オバマ氏がジョン・ルース氏を駐日大使に指名したのは5月も終わり頃の事だった。ルース氏は、公聴会を経て8/16大使に就任する。2010年8月6日にはアメリカ合衆国政府代表としてはじめて広島平和記念式典に出席。同年、9月26日には長崎県の原子爆弾落下中心地碑に献花をした。2012年8月9日には、駐日米国大使として初めて長崎平和祈念式典に参加した。2013年6月23日の沖縄慰霊の日には沖縄全戦没者追悼式に出席し、同年8月には6日の広島平和記念式典、9日の長崎平和祈念式典にも、それぞれ出席した。バラク・オバマ大統領がジョン・ルース大使の後任にケネディ大統領の長女で弁護士のキャロライン・ケネディを指名。キャロライン自身は、1978年に叔父のエドワード・ケネディと伴に初めて広島に訪れ、深く心を動かされたという。

そしてジョン・ルース氏と云へば東日本大震災と「トモダチ作戦」が思い起こされる。"絆"と共にさらに日本人の琴線に深く触れたのは、被災地石巻を訪れた時の思いがけない被災者との抱擁の映像だった。2011,3/23ルース駐日大使(石巻)「12歳くらいの男の子が、私にかけよってきて抱きついてきたのです。まるで癒やしが必要なのが私の方であるかのように」。私はあそこで「人間の精神力の強さを見た」のです。

■被爆者の森重昭さんを抱き寄せるオバマ米大統領

=27日午後6時8分、広島市中区、高橋雄大撮影

オバマ氏には反核と云ふキーワードで広島、長崎には親和性があったのだ。そして、平和記念公園で原爆ドームを臨み慰霊碑に献花し、原爆資料館ではそっと折り鶴を差し出した。また、この式典の時には、思いがけないハプニングもあった。老齢の森重昭さんを抱擁し背中を撫でやる仕草の映像は世界に配信され、人々の感動を呼ぶところとなった。Embrace「抱擁」である。かの老人を抱き労わると云ふ仕草は、あたかもヒロシマで傷付いたすべての人達を「エンブレイス」するかのやうに象徴的に世界に伝わった。

 

陛下の「跪き」も、ジョンルース氏やオバマ大統領の「抱擁」も咄嗟のことである。深い内省や教養が直感的に心情をしてそうあらしめた。感動と云ふ他はない。彼我の差は歴然としてゐる。安倍首相にはこれからも心からの「抱擁」はないだらう。おざなりであり無神経で、どこ決定的に誠実さに欠けているとしか云いやうがないのである。アリゾナでの舌の根も乾かぬうちにゴルフに打ち興ずる。部下である防衛大臣が早速の事に靖国に詣でる。

 

2005,6,27天皇皇后陛下(サイパン)

いまはとて島果ての崖踏みけりしをみなの足裏あうら思へばかなし

戦後60年だった10年前、天皇、皇后両陛下はサイパン島を訪ねられた。戦闘に追いつめられ、自ら命を絶った多くの女性に心を寄せたのが皇后陛下のこの歌である。とりかへしも付かないことに対して、慰霊とはもっとも真摯で、奥が深いものだ。眼の前には蒼い蒼い海が広がってゐる。

 

倉石智證

「私たちは戦争の苦しみを経験しました。共に、平和を広め核兵器のない世界を追求する勇気を持ちましょう。」オバマ米大統領が記帳した芳名録=27日午後、広島市中区の広島平和記念資料館、日吉健吾撮影

 

2003,3/3広島