蓋し、法律とはつまり社会的インフラストラクションに似てゐる。
或る種の建築や、道路などにも似ているのだ。
どう云ふ風に自由に快適に場所を選び、往来することが出来るか。
自由であればあるほど、イノベーションが生まれ、
そして、生産性に資することが出来る。
湯沢の魚野河原は可哀さうだよ。
葦も生えずに澱みも出来ない、
虫も沸かずに、魚影も細る。
法律とは突き詰めれば、それが行き過ぎれば国民の可能性を撓めることになる。
自由を失うことで、川の蛇行は矯正され、
川のエネルギーはストレートにそのまま下流へと流しやられるばかりだ。
澱みに浮かぶうたかたも、かつ浮かみ・・・もあったものぢゃあない。
たちまち、詰まらいな川べりとなるのだ。
豊かさが、可能性と、遊びが、その中にあるアイロニーや厳しさも含めて、
自己責任があっという間に下流へと押し流される。
「共謀罪」はまだ分からい。
しかし「受動喫煙」「道徳教科化」なども含めて、お上のやることは、
人間をして人間の自由と云う本来性を貶めていく在り様は事実だ。
自分で自分自身を自己判断してゆく。
アダム・スミスが云った"共感"とはここから出てくるのではないか。
深い教養とは単なる知識の羅列、偏差値的な物事ではなく、
必ず、深い他に対する想像力から生まれて来るものだからだ。
痛いことをされれば。必ず相手も痛い。
血が流れることはみんな必ず赤い血で、痛さも当然民族、肌の色、宗教には関わりない。
上からの強制ではなく、必ず自分で考える、と云ふことこそが肝要になる。
お箸の上げ下ろしまでお上の云ふ儘になってゐると、
ほんとうに人間は莫迦になるゾ。
さうでなくても、GPSやSNSが人間の本能の多くの部分を奪っているのは明らかだ。
人間のある種の生物的能力をことごとくダメにしてゆき、
結果若い人たちのアニマルのやうなその年ごろにありがちな、
生殖本能さへもなし崩しにしてゐるとしたら、あはれだ。
そして、自民党の頻繁する閣議決定と、
しかし、その裏でもはや笑へないレベルとなった、
かなり一貫した壮大なこの党のナショナルへの物語性のことである。
しかし、よせよせ、と云ひたいところである。
もう一度おさらいする。
さうして自民党政権がこの国をどういう風に導いていきたいかを確認する。
2013,11/27国家安全保障会議(NSC)の創設関連法が、国会で成立。
2013,12/6「特定秘密保護法」成立。
2014,4/1「防衛装備移転三原則」
武器輸出三原則に代わる新たな政府方針として制定された。
2014,7/1(集団的自衛権行使容認)───
従来の憲法解釈を変更して限定的に集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を行った。2015,4,27「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」策定。
2015,12/19「安全保障関連法」(自衛隊の海外での武力行使を可能にする)は
19日未明、参院本会議でも賛成多数で可決され、成立。
2016,12,12「駆けつけ警護」PKO新任務施行。
部隊には「駆けつけ警護」の他、他国のPKO要員らとともに
武装勢力から宿営地を守る「共同防護」も認められることに。
2016,12「武器等防護」運用開始。
北朝鮮の弾道ミサイル警戒などにあたる米軍艦船などを守る。
2017,3/21「共謀罪」の構成要件を改めて、
「テロ等準備罪」を新設する法案を閣議決定しました。
立法府は「生前退位を特例法」でとりまとめ、
2017,3,17安倍総理大臣に、国会としての考え方を伝えました。
内閣は法案を2017年の通常国会に提出する意向を表明。
17,3/23「日米物品役務相互提供協定(ACSA)改定案」23日、
衆院本会議で自民、公明両党などの賛成多数により可決され、、参院へ送付された。Acquisition and Cross-Servicing Agreement。
17,3/24「道徳の教科書検定」が行われた。
来年4月から評価を伴う「特別の教科」となる。
3/29「敵基地攻撃能力」政府に提言(小野寺五典元防衛大臣)ただちに検討
国民の命と財産を切れ目なく───
安倍首相はフクシマの原発の時もさう云ひ、
熊本の大地震の時もさう云ひ、
そして、自身の掲げる集団的自衛権安保改正の時も通じて四六時中さう云ってゐる。
その上それを当たり前のものにするために、
尖閣に中国の艦艇が四六時中頻繁することや、
北朝鮮の核実験やミサイル実験のことをアナウンスする。
日本を取り巻く安保情勢が日々かってないほど厳しくなっていると云ふのだ。
日米ガイドラインが新しくなり、安保防衛に関しては共同運用がさらにアップされた。
シビリアンが抑えられ、制服組が上位に据えられた。
防衛予算はあっと云ふ間に5兆円を超えた。
「GDP比1%にこだわらない」
トランプさんを意識したのか安倍首相の早速の言であった。
あらためて「国家」とはなんであるかである。
国家の定義とはなんであるのか。
かうしているうちにもアサドの顔が浮かんで来る。
プーチンの顔が、トランプ、習近平、エルドアン、金正恩、
そしてメルケルさん、テリーザ・メイ、そして我が国の安倍首相である。
国家理性とはなんであるか。
それらは何から導き出されるのか。
国家は何のためにあるのか。
一人一人はいい人達なのに、一人一人が集まり大勢になると
なぜナショナルが生まれなぜナショナルに染まり、なぜ他をヘイトするのか。
暮らしを確かな安穏なものにするためには行政があれば済むことではないか。
行政とは生老病死に基づいた、生まれる、育てる、教育、医療、保健、安全、安心・・・
そして看取りへ、などである。
指導者とはなんであるか。
指導者とはどういう風に定義づけられるのか。
どうして、あなたは指導者でゐられるのか。
民主主義とは、そして必ず機能しなければならない憲法とか、デモクラットとは。
にもかかわらずどうしてあなたは国家を弄ぶことが出来るのか。
あなたに国民を殺す権利が、不幸に落とし込み、路頭に、寒さや飢えや、
挙句の果てに憎悪にまで駆り立てると云ふ権利が、
一体どのやうにして、どんな経路であなたに生み出されてくるのか。
国家自体が諸悪の根源なのだ。
ウェストファリアを引きずり、国家主権云々をする国連主義こそが諸悪の根源なのだ。
ぼくらはすでに新しい国際主義を思考しなければならない。
リベラルや国連主義や、民進党さんもさうだが、あんまりに予定調和に満ち満ちてゐすぎる。
完璧であり、理想的理念にかない、政治的に正しい。
国民の閉塞とは多くの現在では世界的にそのた正しさから噴出して来てゐる。
政治的な正しさを装ふ、力無きもの云ひにはうんざりしているのだ。
新しい方向性を模索する。
・人類の大変な発明でもある株式資本主義をもっと洗練させる。
戦争や戦意ではなく、株式による国境を越えた社会厚生福利の可能性を。
・国家主義ではなく、市民主義(真の選挙とコミュニティ)をどういう風に実現できるか。
・国連主義に代わる「国際企業保険主義」。
あらゆる国のすべての企業が属することによって、
仮にある国家による不正義が疑われるときは、「買わない」「売らない」「撤退」
などを可能に出来るような。
話しが飛んでしまった。
ぼくが一連の自民党政権が実行しつつある物語に対して疑義してゐることは、
経団連会長の榊原さんさへも云ってゐるやうに、
「今は憲法をやってゐる場合じゃあない」
まさしくこの通りのことである。
ご苦労さんにも憲法改正の自民党の原案まで行ったとしても、
喫緊の国の根本的な問題は解決しないからである。
優先順位を間違えてはいけない。
「尖閣」など鄧小平まで戻ればいいのだ。
極端を云へば国境で国民の全部は飯を食ってはいけない。
ECSCは戦争物質をドイツ・フランスは共同管理にした。
以来70年近く欧州は大きな戦火に晒されることはない。
大体が軍事予算を積み上げて日米同盟を強化したとしても、
中国は南シナ海を埋め立て続けるだらうし、
北朝鮮も必死になって核開発、ミサイル実験に励むだらう。
苛めにいじめられて挙句の果てに日本はバクハツした。
抑止になる、なんて云ふことには決してならない。
かって日本こそがABCDラインに追い詰められたことを歴史に忘れてゐる。
リー・クアン・ユーさんはシンガポールをしてよそ様に必要な国家になる、
と云うことを国家の方向の方針にした。
憲法問題とはきわめて内向きの内国的な問題である。
世界は極めて冷淡にそのことを見ているし、
アジア諸国にとってはまだまだ迷惑なことだ。
日本はそれよりも、今まさしく自国自身が戦時であることを実感しなければならないのだ。
GDP比に対する国の借金は240%。
終戦時の借金をとうに超えてしまってゐるのである。
これこそが戦時でなくてなんて云ったらいいんだらう。
「憲法」なんてやってゐる場合ぢゃあないのである。
国の生産性こそを高めなければならないのである。
・資本コスト
・総労働投入量(時間)、労働の質(あらゆるリテラシー)
・資本装備(IoT、AIなども)
・TFP
・マーケティング(足元を見られない、いい顧客を持つ)
・ガバナンス
・・・・・・・・・・・・
老人か、病人のやうになってゐる。
なぜ、そのやうになってゐるのか、政府各党は真剣に考えなくてはならないのだ。