■地勢、地味、地霊、風味・・・

「国破れて山河あり」───

国家に懐かしい山河なく、国家に内国が潰えて来た。


敗戦後は国破れても山河あり、

山河にはまだ故郷とたゆみない地域の心情と云ふものがあった。

あらゆる地勢には地勢特有の微生物菌が棲んでおり、

その微生物菌酵母が、あらゆる地勢をまた醸し出して来る。

地勢が崩れない限りは故郷はいつだって懐かしく、万全に迎えてくれるものだ。

しかし今まさに日本はタガが外れ、社会は底が割れて来て、

山河もあちこちで破れつつあり、国家も頼りなく

その根底を危うい方向へと漂流し始めているかのようだ。

僕にはこの国がどうしてわけもなく歴史的意味、その残滓さへも、

簡単に時の彼方へと消やしてしまおうとするのかさっぱり分からない。

歴史と云ふ縦軸を貫こうとしないから、

どこかここに来て世界の中でふらふらとしてゐるやうに見える。

どこの国でも自国の戦争の記憶は、その風景のなかに景物として留めて来たものだ。

広島、長崎は辛うじてその戦争の残景を残して来た。

沖縄では平和の礎でもって戦争の記憶と祈りとしてゐる。

だが、日本の中心地東京ではどうだらう。

1945,3/10の東京大空襲ではおよそ10万人が犠牲になったと云ふのに、

東京にはきれいさっぱりその痕跡すら残されていない。


あゝ、やはり「海ゆかば」が聞こえる。

「生等もとより生還を期せず」───

雨のなか学徒兵がケートルを濡らして肩に銃を担ぎ行進してゆく。

見送る女学生たちの甲高い悲鳴のやうな声───。

最後は外苑国立競技場を揺るがすような「海ゆかば」の大合唱になった。

ここから多くの学徒兵たちが送り出されて行った。

国にすでに国がなく、国が内国に滅びつつあったときに、

山河である学生たちの真情が、胸突きあげて日本国中の山河に響いた。

海ゆかばはその時のすでに日本の巨大な重苦しい葬送のやうなものであったのか。


もの申したい。

地勢、地味、地霊のことである。

神宮外苑は巨大な明治の練兵場の跡地であった。

イチョウ並木を青山246号から突き抜けて右手に入った雑木の中に、

おそらく今でも明治天皇の練兵を閲した御座所の標があるはずだ。

外苑国立競技場は幻の1940の東京オリンピックの時にも

メインスタジアムでと云ふ案もあった。

1943,10/21強い雨の中で出陣学徒25000人が競技場内を行進した。


4年に一度と云ふオリンピックは世界平和の祭典であると云ふのは間違いない。

そして物事の因縁には歴史と云ふ連なりが堆積してゐる。

日本が薄氷勝利を収めたと云ふ日露戦争は

実に日本の名実ともに独立戦争であったとも云ふ。

青山練兵場は大陸に精鋭を送り出す核地でもあったわけだ。

明治天皇が崩御為され、練兵場は明治天皇を祀る青山地外苑と云ふことになった。

競技場が造成される。

しかし、純粋なスポーツにまたしても国策が影を差して来る。

「明治神宮体育大会」は戦争が苛烈さを増すとともに

その名称を「明治神宮国民錬成大会」と名前を変えた。

「海ゆかば」が聞こえないだらうか。

日本国民として忘れてならないことは、忘れてはならないのだ。


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