まだまだ震災は続いている。
津波肺、重ね着(遺体検案書)、亡くなった方たちは何かを云いたいのだ。
赤黒く鬱血、溺水、溺砂「1日でも早く、1体でも多く」
みんな亡くなった方たちはなんとか自分の名前を取り戻そうとしているのだ。
11/22(火)曇り晴れから曇りへ。
紅葉山山から小僧駆け下りぬ
カイチである。
4歳、全身エネルギーの塊である。エネルギーはフローして行く。
雪が降った。
あかあかや雪の紅葉の重なりぬ
紅葉美しき老いも幼きも
カイチ、お布団の上に乗っかっちゃいけないとせったでしょう。
綿がぐちゃぐちゃになっちゃう。
泡立ちぬ朝からカイチご機嫌さ
古きメロディー「三つ輪石鹸」を口ずさんでいる。
4歳の男の兒には「三つ輪石鹸」なぞ、時代もコマーシャルも知る由もないが、
まこちゃんが教えたのだ。
保育園で歌うと大人たちに大受け、ますます得意になる。
「えぐんちから準備した」(何日前から、幾日前から)
「ひっかすばっちゃう」(ミイラになってしまう)。
そして最後にマコちゃんは「何なんだ」と云ふ。
何なんだ、一体全体何なんだ。
朝一番早く起きて飯の仕度とみんなの弁当作って、
夜一番遅く帰ってきて、またみんなの夕食作ったり、
風呂掃除したり、洗濯したり、
何なんだ、もういじれっちゃう、革命起こしちゃうぞ。
今でも今井橋のあの辺りでは嫁は畑耕して家と行ったり来たり、
祭にも行けない、
なんだ。
わたしも家へ帰ってきたら真っ直ぐに台所へ、
いじれっちゃう、
もう何度でも云ふけれどほんとうに革命起こしちゃう。
紅葉散るチチポカカポとこの坂へ
井戸水を汲みにバケツを提げて行くたびに、たまらなかったなぁ、
いつもその花の香りがする。
ぎったん、ぎったん、ほんとうにあの井戸はよく水がでたなぁ。
夏は冷たくてな、冬はなんだかあったかい、
井戸から自宅まで子供の脚で両手にバケツを提げてそれでも3分ほどはかかった。
お花畑の間を通る。
葡萄の木もあってね
初は緑色の硬い小さな酸っぱい渋い粒もみるみる赤く染まって行く。
水仙、お盆花、オシロイバナ、百日草、菊、
それから名も知らないたくさんな花々、
みんなオトメさんが丹精していた。
あれ、おめ知らねが、あの花の匂いだ、
いい匂いでな、いまはおらは自分の家の庭に植えている。
フィガロの結婚のメロディーだ。
嬉しさよりも昔のことを思い出すと胸を突いてくるのは切ない酸っぱい気持ちばかりだ。
トモばがだな、と云われても、
鼻がほんとにいつからかバカになってしまった。
匂いをちゃんと嗅げないなんてほんとうに残念なことだ。
それはそうと、おら達の長屋の下に昔、朝鮮の方が住んでいたよね。
あの人たちは何処へいっちまったんだらう。
笑顔一つも思い出せないけれど、みんなひもじくて家よりも貧乏していたな。
遊んじゃいけないって云われたな。
「朝鮮っポ」てな、云っちゃいけないけれど
トモなんかおべえていねがもしんないけれど、
科野村のはずれの十三崖な、
チョウゲンボウで有名なとこだけど、夜間瀬川に沿ってな、崖になっている。
崖には穴が掘ってあってな、終戦後しばらくな引揚者の者もえっぺ住んでいた。
朝鮮の人ばっかじゃなくて、みんなえらい暮ししていたんだ。
カイチがゴセンジャーの形よろしく
ぐるっとひと走り駆け回ってまこちゃんの膝の間にぐりぐり入って
それでも収まりがつかなくて背中に回ると自分も床に逆さになって、
盛んに脚でばたばたとマコちゃん背中と首筋辺りをキックする。
遊ぼうよ、つまんないよ、と催促しきり、
ああ、カイチ、おばばはちょうどよかったな、
背中が凝っていたんだ、首筋もな、もっと揉んでくれや。
二人でしばらく我慢比べである。
生萱の家な、オクマばあさんの息子な、
普段から酒が好きだったからえげねがったんだ。
一升びろげってな、結納の帰りに溝に落っこちゃった。
頭割れてなぁ。
マコちゃんはカイチのキックに耐へながも深くため息をつく。
オクマばあさんはわたしたちの父親の姉で、
いつも和服を寝巻きのように着ていたもんだが、
姪っ子、甥っ子のわたしたちには優しくしてくれた。
でも、自分の長男が死んでしまった。
子供は未だ小さく、残されたお嫁さんはお婿さんをもらうことになった。
いつごろからかは分からないけれど、
そしてオクマばあさんは頭痛病みになった。
こめかみに膏薬を貼ったばあさんはよく自分の離れの寝所から出てきて
わたしたちに半分内緒なのか知れんけど、ねじこむやうにお小遣いをくれた。
残されたお嫁さんの米子さんはお婿さんをもらって、
米子さんと婿に来た恒信さんの間に孔次、竹ちゃん、千代子ちゃんがいたなあ。
恒信さんな、いい人だったな。
いつも笑ってた。
頭痛いどおらも。
カイチ、もういい加減にしろ。
おばばも頭痛い。
カイチがうるさいからおばばは少しも平和じゃない。
頭痛くなると生萱のオクマばあさんにせってやるんだ。
ばあーちゃん、全部しょってえってくんねがい。
頭痛くなること、全部背負って行って欲しい。
文明開化の刀でもほんとうに振り回してやりたい。
わたしも清水端のオテンマでこんなでっかい溝に落っこちた。
脚ね、ひッかいちゃってな、
わァーって膨れ上がってきてな、
誰か知らない大人の人が背負ってくれて整骨院まで連れてってくれた。
ふざけてるさ。
おら未だ中学生だったんだぞ。
おとっつアン、もう仕事がうまくえがなくなって家にえらっしゃったさ。
ふざけてるよな、何で自分でえがねがったんだろ。
11,11/24(木)曇り
湯沢から長野を通って姥捨てから中央道、山梨に回った。
おーい、おーい、何度になってる。
見れば分かるじゃんねえ。
ストーブ点いてないじゃん。
ああ、おじいちゃん、寒かった。
ストーブのところに室内の温度が何度か分かる温度計がついている。
じ様は寒いと、なんてば様は気がつかないんだろうと怒っているのだ。
ば様はすぐにストーブの点火のスイッチを入れた。
火が燃え出すゴーッという音がした。
それから今度はじ様はお箸がないと云い始める。
何で早く食事の支度が整わないんだと不満げである。
いつもの朝食のここんところの食前の甘い熟柿、
それも出てないと眼で催促し、
「ご飯くれなきゃだめじゃんなぁ」
と誰にともなくさう云う。
熟柿についてはもう少しじ様は文句もあるのだ。
私の息子が過日やってきて柿木に脚立をかけて登って、
ば様の代わりに柿を収穫した。
ところが柿のヘタを残さないでもぎ取るやうにしてしまった。
それでは、吊るし柿にできない。
「おめえがよくおせんからわりいだ。
百匁柿を吊るし柿にする」
するはずができなくなってしまった。
もってねえじゃんねえ。
硫黄を燃やしシートをかける。
どんどんいい色に甘くなる。
新聞屋さんにやらんね。勿体ねーじゃん。いい色になっている。
ば様とじ様の「もったいねーじゃん」が少しすれ違う。
ば様は甘くなったものだから新聞配達の人に差し上げてしまう。
冬の薔薇も枝葉に落ちかかり、
最後に残された薔薇は
その赤色をビロードのやうなややめくれ上がった花びらの縁に集めている。
黒く赤く紫色に沈んだ。
花のたましひと云ふ。
花に阿おもねるのだ。
さっと一筋の一平方㍍ほどの陽の矢柄が届く。
ば様が大きな柿の落ち葉を拾い集めている。
何に使うのととへば柿の根方に素っ気なく返して、
肥料になると云ふ。
牡丹は花に媚び、阿て、
根方に落ちた葉は黒ずんで霜枯れに死んでいた。
さっと、その部分だけに陽の光が当たって
浮かびあがったのは百日草の数本の花叢で、
背丈の違う花茎はすでに霜にやられて葉は茶ばみ、まだら模様に、
花もところどころ崩れかかるほどの色合いになっている。
ば様がこんな小さな花壇を大切にしているのは
居間の引き戸のガラス戸越しにじ様が健康チェアにもたれたままで、
花を少しでも見られたらと思うからで、
少しばかり残った花々に、枯れ葉などがかかっていたりしたらたまらない、
うろうろとかき集めたりするのだった。
今の時分は玉が弾け始めたとはいへ、
何よりも紫式部のむらさき色のつやつやしたのが
風のない小春日和に輝いて見えるのが一番だといへる。
農作業に行く途中、ふと佇み、
鼻づらを花に近付けてこうして花に阿るのである。
倉石智證