11,2/25(金)晴れ

岩手、三陸をへ廻って来た。

それはすぐにでも書かなければならないことだが、

まずはあのやうな不幸な災厄がおき上がるまへの時節に戻す。


「あれ、おとうさん、どうしただへ」

野良から帰って来ても、部屋に灯かりのひとつも点いていない。

あれ変だなとおじいちゃんの部屋に行くと

おじいちゃんはいも虫のやうに畳みの上に転がっている。

素っ頓狂な声を出して尋ねると、

どうもこうもと云うには、歩行器のブレーキをかったつもりが、すっかり忘れていて、

そのまますがったら、するっと手の間から出て行ってしまった。

さあ大変と転がったままじ様はそれからあれこれとあっこっちかじるやうに掴まるのだが

さっぱり体がいうことをきかない。

どんなにしても起き上がれないので仕方がなく転がったままになっていたと云うのだった。


そんなことが立て続けにあった。

何しろ一番大変なのは用を足すことである。

足が不自由になるとトイレに行くタイミングもなかなか思うに任せない。

あれ、と思う間もなく、もうおとうさんはクルミ(踝)まで汚してしまい、

何しろおじいちゃんは目方が重いからそれからの後始末が大変なのであった。

トイレ、お通じやお腹のことばかりではなく、

ベッドに横になっていても本人も気がつかないでいる事故も多い。

事故と云うことの程ではないかもしれないが、

おじいちゃんは自分の足で“蹴たぐって”どうやら電気毛布のスイッチを切ってしまっていた。

寒い寒いとば様に訴えるがば様にはいっときなにがなんだかさっぱり分からない。

下着が血に汚れていてば様を仰天させたこともあった。

それは知らないうちにじ様は自分でウロガードのカテーテルの辺りを痒いからと

無意識にかじってしまったことからだった。


週に一度のデイサービスだけれどありがたいことである。

特に入浴にはじ様はすっかり気に入ってしまった。

さまざまな記録が交換日誌のようにば様の手元に届いてい来る。

作業療法士が歩行状態を見させていただいたところ、とても安定していて良いようです。

こちらでも日中歩いていただこうと思います。

ご自宅のウォーカー(歩行器)をお持ちください。

──ば様から。

尿袋、ウロガードの取替えキャップを入れておきましたのでよろしくお願いいたします。

入浴に関しては本人も生き返るようだと喜んでおります。

──デイサービス。

持参したキャップを使い、入浴していただきました。

固定テープは二種類用意しました。

カテーテル挿入部もガーゼ固定がしっかりできるように幅広いテープのみで処置させてもらいました。


尿量=400㍉㍑。

膀胱漏の処理テープの件にはありがとうございますと、

それに、足の指の爪切りのなんですが、

わたしにはもう目が利かずじ様の足の爪切りが思うように任せないのでぜしおねがいしますと、

ば様が云うにはじ様の爪は肉と固く組み付いたままでとってもやりにくいのださうである。


「味噌作り」

味噌部屋の味噌搗きあはれ悩みはふかく味噌の子あはれ

土間から下りる梯子下の味噌部屋には大きな木の臼があった。

去年仕込んだ味噌を椀で掬っては臼に入れ、

それを杵で搗きかへす。

空気に触れさせるのだらうか。

そして上下が逆さになるようにして別の樽に入れられて樽ごと置き換えられることになる。


味噌の搗き交わすのは妻とば様にまかせて、

わたしは大明神や他の葡萄畑に除草機をかけに回った。

除草機をかけまはしながらふと、味噌搗きあはれ、と思い浮かべたのだった。

ヒヨかなにかは分からねど、少しく尾の長い鳥が舞い降りて、

除草機の近くをちょんちょん飛び回っている。

おほかたはひっくり返された土から飛び出た虫や蚯蚓でも啄ばんでいるのだろうが、

そば近くまで除草機をかけまはしに行ってもいっかなおそれるという風でもない。

鳥も人間も眞にあはれではないか。

あの味噌部屋には独特の酵母が棲み付いていて、

それはもうそれでも家が建てられてからであるが、

すでに七八十年は経っている。

今のじ様のお父さんの時代からだから、

小夜子ば様はお嫁に来る前の酵母を引き継いだことになる。


除草機を柿畑に回した。

かけ回していると妻が自転車でやって来た。

手かんなで妻は除草機のし残した畑の隅の方とか、柿の木の根方辺りの草をかじり始める。

久さんが軽トラで通りかかった。

エンジンを止めて、縁石に腰をおろし、しばらく休憩となった。

久さんは軽トラの荷台に寄りかかるようにして立った。

今日は何でも上田の方の大会に鳩ポッポたちは出かけているというのだった。

伝書鳩レースの当日なのだ。

今朝の9時くらいに放鳥されるから早い鳩はもう少しするともう戻ってくる。

でもこの間の飯山の大会ではえらい目に遭った。

鳩が全部戻ってこない。

あんなことははじめてだ、何かあったんだな。

鷹かなんか何かに襲われたんだ。


お昼近くにここから見える鳩舎に鳩たちが戻ってくる。

久さんは大きな大会でも優勝したことがある。

何しろ一番遠い大会は北海道からねという大会もあった。

柿畑で作業をしているとよく鳩たちが群れになって上空を旋回しているのを目にする。

古い寺の屋根の上を、葡萄畑や李畑の上を大きくぐるりと旋回してしばらく空に自在の環を描く。

「で、最近は体の調子はどうなんですか」

「おれなんかさ、我慢強いから何でも何とか受け入れちゃうんだけれど、

この間だけはまいった」。

久さんが云うには2月の初めのころ2週間ほど入院していたというのだった。

「1㌔の鳩の餌を落としちもう。手にしたはとの餌も何度も落としちもう。あれ、おかしいな」

と思いながら家に帰った。

「妹の弘子が家に居たから良かった」

すぐに病院に行け、ということになって、

病院に着いたらすぐそのまま入院ということになった。


久さんは究極の病を抱えている。

その病は突然一日のうちに何度か体がまったく動かなくなってしまうというものだった。

トイレにも行けなくなる。

お茶碗やお箸も持てなくなる。

寝ていても、すぐ枕もとの自分のそのための薬にも手が届かなくなる。

薬をのんでは一日一日を何とかやり過ごしているというのだ。

そして薬を飲みすぎてもいけない。

服み過ぎたりすると今度は薬の効き目が落ちてくる。

そして去年は今度は糖尿病であると診断された。

「今なんか一んち、1300㌔カロリーだもんな。

まったく食べることが一番さ。バナナなんか3分の1だもん」

そして今度の脳梗塞の発症でお薬の数はついに30錠になってしまった。

縁石に腰をおろして見ていると、久さんの手指がどうも調子がおかしい。

なにかねじれたようになって、

そして軽トラの荷台の縁を掴まろうとしているかのように彷徨っている。

両脚も心細げで、落ち着きがなく交互に立つ位置を変えた。


それから久さんは急に気分が変わったとでもいうように不意に軽トラの荷台を回って運転席に乗って、

そしてさっと軽トラを運転して畑の道を行ってしまった。

後ろ手に嚔くさめひとつや梅の花


梅の花咲き初めりゆき布団干す若き夫婦の新居の窓辺

ここ5年ほどで3軒の若い夫婦の家が屋敷のすぐそばに建った。

屋敷の畑の前に放擲された梅の樹が何本もそのままになっていて、

それでも春の気配に今を盛りと満開に花を咲かせている。

剪定も入っていない枝枝は今では自然に還りつつ、

しかしそれでかへって自由になったのか

真っ青な空に向かって放物線を描くかのように真っ白に花叢を咲き盛からせている。

その花叢の向こうに若い夫婦の一軒の新居があり、

2階のベランダに布団が干してあるのが眼に入る。

放棄地になった梅畑には根方にあはい緑色に蕗の薹がいくつも芽を出しかけている。


春の野やばばに駆け行く幼なかな

あちらの葡萄畑の向こう側に畑があって、

茂さんちのば様が日がな腰をかがめて畑作りに丹精している。

幼ながおばあちゃん、とでも云うやうに葡萄畑の棚下を駆けてゆき、

おばあちゃんは腰を立てると幼なを手で迎へる。

でも、幼なはすぐにおばあちゃんから離れて畑のあちこちに行っては一人遊びを始める。

田舎はとにかくおじいちゃん、おばあちゃんが多く、

そしてついでに小さな子供たちが少しばかりいる。

そこいら辺、視線の彷徨うあたりすべてが透明な春の空気に満たされていた。

すべて眼に入るものが眼に心地よい。


スーパーに行くこともなし蕗の薹手前みそ付け食ふは楽しき


甲府の街に出かけることになった。

ば様にしてみればなんといっても正孝兄さんのことが気が気でない。


6時過ぎて2割引き貼るスーパーの傾きてゆく私語は慎め

景気が悪いのだ。

6時を回ったころからスーパーの鮮魚や肉類のコーナーのパッケージに

次々と2割引のシールが貼り付けられてゆく。

一生懸命働いている人たちにはほんとうに切ないことだ。

6時だというのにお客さんはまばらだ、

ショーケースの前も、開いた間も閑散としている。

多くのものがこのまま捨てられることになる。


味噌作りと正孝にいさんのお見舞いは次稿に───

智笑