10,11/3(水)晴れ

デンファレに手持無沙汰の妻であり

成女の学園祭のにぎわいがマンションのここまで聞こえてくる。

しかし、賑わいは昔に比べたらもう10分の1にもいかない。

少子化といへども、いかにもさびしい限りである。


神棚のデンファレの花弁はな落ちにけり落ちにしままにそのままに置く

落ちてもこの花は3、4日はしっかり姿形を保っている。

すごいことだ。


文化の日フォックスフェイス世界堂

花屋の店先にフォックスフェイスがその黄色い色彩をにぎやかに。

花屋さんの前を通って世界堂へ。

日本シリーズ、早慶戦、サッカー・・・

それから皇居で文化勲章の授与式、

ほうぼうで賑やかな一日であった。

空は快晴である。

ヨドバシカメラにインクジェットを、世界堂にA4のコピー用紙を。

どちらもレジに並ぶほどであった。


10,11/4(木)曇りのち晴れ

幾度か霜雪が来て石狩の巨きキャベツのけふ採られけり

恒例の石狩鍋、キャベツとニシンと麹の不思議な出会い。


歯欠けて泣き面にハチ文化の日

じ様のしゃっくりはもう10日ほども止まらないままだ。

ば様はいよいよ心細くなったらしく、来て欲しいとTELしてきた。

そんなこともあったが、

夕食に妻と二人でもんじゃ焼きをいただいていたら妻の歯が欠けた。

欠けた歯を妻はテーブルの上に載せて見せた。

今日はお昼過ぎから天気が良くなった。

妻は歯医者に出かけた。


愛憐は差しつさゝれつ最近はサ行変格ただに刺す刺せ

■3日午前3時ごろ、石川県加賀市桑原町の「ローソン加賀桑原町店」で、

店長、山崎外茂治さん(68)=同市小菅波町=から「包丁で刺された」と110番があった。

大聖寺署員が駆け付けたところ、山崎さんは胸などを刺されて店内で倒れており、

市内の病院に運ばれたが、約1時間後に死亡した。

山崎さんが「泥棒、泥棒」と叫ぶ様子がビデオに

■4日午前4時5分ごろ、秋田市泉北3、

日弁連の消費者問題対策委員長を務める弁護士、

津谷裕貴さん(55)の妻良子さん(53)から

「主人を殺すと言って男が来ている」と110番があった。

警察官が駆け付けたところ、津谷さんは寝室で男ともみ合っており、

腹などを刺されていた。

病院に運ばれたが、約1時間半後に死亡した。

無職、菅原勝男容疑者(66)。

離婚と貧困が根底に。


尖閣のビデオ流れたUチューブ海の蒼さは云ふこともなし

中国虚線の船体はブルーに、上半身裸の船員も。

サイレンの音、中国漁船のエンジンがひときわふかされる。

黒鉛が煙突から上がる。

突如海保の船から上がる白煙のようなもの。

主権では飯は食えない。

メンツなどはもっての他だ。

漁業をまともに条約化することだ。

資源をまともに条約化することだ。

ASEANも含めて環太平洋国家がすべてにかかわりのある国家の主権を

一つの機能する主権に一本化する。

主権をそれぞれが国内の問題にすりかえと 先鋭化させるのではなく、

国家の主権の一部をpartyが決めた主権の機関に移管する。

主権では飯は食えない。

大事なのは「飯」なのであって、それを共同の主権の下にルール化し、

南沙諸島、シナ海はいうまでもなく、

せっかくだからTPPまで含めてそのコモディティーを

共有化できる法空間の構築こそが喫緊の必要性である。

つまり、EUが大陸の為替・金融という国家主権の一部をブリュッセルに置いたように、

シナ海や南沙諸島やそれら大洋にある島々の領有権などはお互いに国内法では主張しながらも

いったんはそれらの主権をたとえば沖縄などの“万国津梁”に置くことである。

ドイツとフランスは戦争物質の Coal and Steel を共通管理のもとに置くようにした。

ECSC

欧州石炭鉄鋼共同体

である。

いまこの海では南沙諸島や、尖閣諸島や、竹島が戦争物質である。

戦争物質領土主権の問題として政治化してはならない。

過剰なナショナリズムをあおって、問題を先鋭化しても、

歴史の中でお互いに平行線をたどるばかりで不毛である。

社会契約論以降、人類は営々と法的空間を作り続けて来た。

海底資源や漁業や通航などの主権もいったんは棚上げにして、

共通ルールを、共通の財産権制度の整備を構築する。

アジア経済にとってアジア太平洋経済協力会議(APEC)が大切なように、

安保分野の協議では)ASEANを核とした枠組みが極めて重要。

TPPは、明確に云ってたとえば日米同盟の強化でもある。

海のあお空の碧、である。

■「一目瞭然」と前原大臣は云ふが

中国ではますます「英雄壮挙」ということになった。


逃げ回る小沢一っちゃん政倫審ニコニコ動画ゐ出てにこにこ

すでに後半に向けた司法手続きに入っていると・・・

この国ではまだそんな事をしている。


そして、いよいよじ様の具合もあやしく、早々にかみさんの実家に行くことになった。

「田舎物語」

10,11/5(金)晴れ

この村には今にも崩れ落ちさうな甍を斜めに軒に引き伸ばしたやうな古いお寺がある。

お寺自身の創建はしかし見た目の古さほどではなく、

しかし、このくたびれ切った寺の有様は、

例にもれず村落の若者の流出や

それにかてて加えての老人ばかりの村になった所為もあることだらう。

屋根には雑草めいたものまて生ひはじめ、

日本昔話そのもののやうに瓦の屋根を、

くたびれた鳥の両翼のやうに村の風景の中に浮かべる。

寺の周りの半分は墓所になり、

今の季節は墓のいたるところに南天の赤い実が墓石のあちらこちらから顔を出し、

陽が翳りはじめれば“難をさけよ”とばかりに西日にいよいよ赫さを増した。

住職はほとんどが東京に在住し、このお寺には人が亡くなった時にしか来ない。


掘りぬき井戸の脇の花畑でも、

屋敷の畑のはずれの百日草や、

またほかにオクラの花や葉っぱや茎も、アスパラの育ちすぎた一叢も、

里芋の畝の葉っぱも、そのほとんどが秋の終わりにいたり、

病葉になったり、その花さへもくすんだ色に枯れかけていたりした。

人が老いたり、病んだりするのなんかいかにも呆気ない。

草臥れて傾きかけているのはこのお寺ばかりではなく、

救急車のサイレンが鳴るたびにみな吃驚したやうに

煤けた梁の薄暗い家屋の下でひっそりと息をつめ、

今度は誰だと指折りをする。


じ様が勉義兄の老人専門の軽ワゴンに乗せられて、村道を橋を渡ってやって来た。

じ様のかかりつけの医院の高原さんからの帰りである。

昔は線路が甲府まで走っていたという、

今では静岡まで抜ける52号線のバイパスのような感じになっている

その道路わきに高原病院は開業なさっている。

なんのかのとこの地域の高齢者の中核的医院で、

ホスピスの病棟もあって、そこに入ったらもう棺おけに真っ直ぐ、

というはなしもあるのだが、じ様のウロガードのとっかえや検査もしかり、

地域の重宝この上ないことはまったくその通りのことなのだ。

ば様はじ様が吐いてすぐに震えるように体を折り曲げ床にへたるやうにしたので、

これはひょっとしたらと思ったのだが、

救急車を呼ぶことはなく、高原さんにまずはTELしたのだった。

「しゃくりは止まらないですよ」ということだった。

もう10日も経った。

嘔吐があってはじめはしゃっくりが止まらないと、

でもそんなものかと思っているうちにしゃっくりは止まらないまま10日も過ぎてしまった。

その間じ様は食事さへもままならず、ずっとベッドに横たわるばかりで、

さすがにば様もあせりに焦り心細くなって義兄が高原さんに連れて行くということになった。


田富の勉義兄のば様とこちらのじ様ば様のみんなで紅葉狩りに出かけたのが10日前のことだった。

空は晴れて絶好の紅葉日和だったのだが、紅葉にはまだ少し早く、

しかし、農業の収穫もひと段落つき、

車中も乗鞍方面も和気藹々だっただろうことは間違いない。

じ様も杖をたよりではあるが、車から降りてひさびさの山奥の景物を楽しみ、

外気を胸に吸い込んだ。


「身体より脳の方が進行が早いのよ」

ケアマネの孝枝さんはTELの向こうでさう云う。

脚が一気に萎えてしまった。

今日は天気がいいから敷布団を換えるついでに縁側近くの日当たりのいいところまで行って、

少しでも日向ぼっこでもしたほうがいいのではないかと勧めたのだが、

じ様はベッドの脇の椅子にようやく座ったまま、

でもすぐに「横になりたい」と弱々しげにかすれた声を出した。

10日もお粥か水ばかりだった所為もあってじ様の身体は大分軽くなった。

しかし、この間の衰弱はこの老人におびただしいダメージを与えたのだった。

高原さんでは「血液の中に決定的に栄養素が欠乏してます」と告げられた。

体温の上昇(39.8度まで)は酵素の働きを阻害し、

からだのあらゆる吸収、代謝、排出の機能の全体的な低下を決定づける。

老人はたった10日の間についこの間まで立って歩けたものを

その機能をいともたやすく脳と脚から放擲してしまった。


人相まで変わってしまったのだ。

朝「おはやう」といえば、まず白髪に鏡を見ながら櫛を入れ、

髭は必ず毎日のやうにあたる。

ところがいまやその顔貌は無惨である。

眼は焦点が合わず何処を見ているのか覚束ない、

そのうえいつの間にか左の目のほうが小さく落ち窪んでしまった。

頬もこけ、やせこけた頬に無精ひげがまだらで、頬全体に赤みがさして、

乾燥しているやうにざらついている。

しかし、まず一番その変貌振りといえばわがままで、

そして傍若無人になったということだらうか。


やれ水が欲しい牛乳だ、氷のかけらだ、枕の位置だ、

と夜中にずっと続くじ様の命令・・・

「もう、眠ゐれんずら」、ば様はほとほとまゐったと疲れ果てたようにこぼす。

「利恵子、来てくれんか、もうお願いだから」。

ば様から心細げなTELがあったのが木曜日のことである。

しかし、まさか、しゃっくりばかりではなく、歩けなくなったこともそうだが、

さらにこの我が儘ぶりもさうだが、

なによりも吃驚したのはまぎれもないじ様の死がまざまざとすぐそこまでやって来ている

という部屋の空気の背や皮膚に触れる異質ないやな感じだった。


どうしてこんな風にまでなってしまうのか。

ついこの間までジェントルの老人だったはずが・・・

「房江はダメぞ。いつまでも話してチョシ」

と見知らぬ老人は長く連れ添った妻に云ふ。

房江さんは小夜子さんの妹さんで、

小夜子ば様があまりの心細さに眠れん、ということで

「では、わたしが」と一夜にかけつけてくれた。

しかし、たまに会えば懐かしき姉妹、それに女同士は口から生まれたも同然、

じ様傍らに話しに夢中になっていると

「房江はダメぞ」ということになったのだった。

見舞いに来たのではなかったのか──ということだった。

房江おばさんと勉義兄さんはようやっとじ様を抱えて軽ワゴンに乗せて、

勉義兄さんは運転してじ様を高原病院へ連れて行った。


「なんでこんなに時間がせって来たんでしょうね」

消毒はもうひと通りは済んだ。

ボルドー液はカミキリムシにも効く。

来年の2月にはまたすぐに石灰に硫酸を混ぜたものを消毒にかける。

芽吹く前の枝を充実させもするのだ。

消毒はそれからベト病やカイガラムシやいろいろなことで年数回もすることになるのだが、

ようやく最後の葡萄の収穫も終わって、葡萄棚にも病葉がまじり始める初秋、

義兄のおばあちゃんもついに車いすになってしまった。

トイレパッドも着けるようになったが、

実の自分の母とはいへ、正直うんちじゃなければいいなと、

思うときもあるそうだ。

週に何回か勉義兄さんはそんなおかあさんを抱きかかえてお風呂に入れてあげる。


倉石智證