10,8/7(土)晴れ

妻の実家にお百姓の手伝いに来ている。

見巧者みごうしゃは音を聞くなり三尺寝

かくして遠花火は闇の遠くを想像できて二度も三度も楽しめる。


「立秋」

8/7日は旧暦では立秋となる。

しかし昼ごろともなると甲府盆地に熱気が収まり、風はそよりとも吹かない。

「そよりともせいで秋立つことかいの」(鬼貫)

一方、夕暮れ近く田圃の堰沿いに車を走らせると

もう女郎花が黄色い花穂を涼しげに風に揺らしていたりする。


うまおひの髭のそよろに来る秋はまなこを閉 じて想 ひ見 るべし (長塚節)

「馬追虫」うまおひ

こうなると本格的な秋にさしかかりさうだ。


八月の雲みな白し甲子園(城山白河)

長考の末の一日扇閉づ(小杉伸一路)

早春に釘煮送りし古里ゆ母の顔してメロンが届く(堀百合子)


季節はすべて足早である。

この熱暑のなかにもすでにひそかに次の季節が忍ばされている。

「百日草目を転じれば大揚羽」

作業場の作業台の前の窓を開け放っておく。

巨峰のパック詰めに飽きてふと眼を前の屋敷の畑に転じれば、

ヒャクニチソウに大揚羽が舞い降りてきて、

しばらく花と戯れるようにしてまた飛び去っていった。


腰手して法師蝉聞く畑かな

パック詰めもひと段落ついて、屋敷の畑の前に出る。

やがて陽も落ち着いてくるだらう。

畑の上に広がる空気は透明で静かに落ち着いている。

つくつく法師の鳴き声が畑の端から聞こえてきた。


不思議なものだ───、

「文理融合」とは免疫学者、多田富雄さんのことであるが、

『落葉隻語』の言葉が形見となった。

新聞のそんな見出しをふと思い浮かべながら、

パック詰めの手をちょっと休めてラジオを聞いていると、

そうこうしながらもこの季節はやはり戦争の季節であるを知らされる。

いろいろなことが思い起こされ、

たとえば、ラジオから流れてきた論説に

「最近は伝統的なナショナリズムが機能しなくなってきた」というものがあった。

伝統的とは私の場合、

おそらくパトリオット的な、とくにより具体的には郷土愛のようなものだと理解するのだが、

それが機能しなくなって、

いまやナショナリズムはスポーツやある種、宗教が肩代わりするやうになった、

というわけだった。

ナショナルはスポーツではより単純化され、

宗教では世界において偏狭がより露はに、原理主義的になった。

原初においての宗教は祖先神信仰も含めて、

普遍宗教とはきわめて倫理的であったり、

相互扶助、または平等などの概念も考えると社会主義的な側面を内含していたと思われる。


死者に思ひを寄せる8月、

ば様は墓を洗ひに行く。

「みぐせえ(見苦しい)、うちばかりが草だらけ」。

もう7時をとっくに回っている。

風呂を使わせてもらって汗を拭きながら出ると、

裏の土間の板の間にば様は両脚を投げ出してそして自分の両手で両脚をさすっていた。

黒光りする板の間は台所に続いていて、

妻が晩御飯の準備に忙しい。

両脚をさすりながらば様はそれとなく妻に話しかけているのだろうが、

妻はいそがしく、ば様のはなしはほとんど独り言にちかい。

「雨風があって、ながいこと行ってないから

お花入れにはゴミがじょうぶ入って汚れちまっている」

「畑の草は引いているけれど、ご先祖様のお墓の草を引くのを忘れていた」

とわが身にこぼした。

よそんちはお墓もきれいにしているのにと、

蚊にぼこぼこ喰われながら、日暮れてお墓を洗うば様だった。

「お灯篭の張り替えだって嫁に来てからずっとわたしがやって来た」

ちょっぴり不満も洩らす。

嫁にやって来たころなにしろ小姑だけで5人も、

じ様は長男だったけれど、その下に弟も2人、

3升の御飯を毎日炊き、御飯を全員によそるのにいそがしくて

とてもゆっくり自分で食事する時間とてない。


「ともあきさんは風呂をきれいに使ってくれるからありがたいよ。

まるで初湯につかるみたい」──、

いやさうじゃないんだ、

わたしとて最近は枯れてきて脂っけがなくなってきただけのことなんだけど、

そのころのば様はもちろん一番最後のしまい湯で、

ば様が入るころはなんだかどろどろしている。


そればかりではない。

家というものは外から見ればたかだか目の中に入ってしまうほどのものだが、

中に一歩はいると色々なものがこれでもかと忘れていた昔の時間の外からも、

思い出される時間の内側からも入り組みながら無意識の世界に闖入してくる。

病のことなんかはいつでもすぐ隣り合わせのことで

救急車のサイレンが村に鳴りひびくたびに

「あれ、あの家の」誰それさんがと思いやれば、

その誰それさんの家でも逆にこっちの家のだれそれさんがてっきりと、

笑えない咄になっていた。


「かわいそうだよ、じょうぶ大変だねへ」

ば様は電話の子器を持って隣の部屋に行って聞こえないように話しているのだが、

照雄叔父さんの狭心症の具合がどうもあんまりかんばしくないらしい。

最近9日間も入院していたのだ。

かと思うと今度は節子叔母さんから電話が鳴った。

こちらはすぐにでも検査入院するとのことだった。

節子叔母さんのとこには3人の立派なご子息がいて、

でもよりによってご長男はイギリスに出張に出かけたばかりだった。

次男は家族で長期アメリカに滞在だし、

末っ子の教授はグリーンランドの環境自然調査からたった今しがた帰ってきたばかりだが、

住んでいるところは富山県だ。

立て続けに電話が鳴って今度はじ様の下の長女のみどり伯母さんからだった。

慌てるふうでもないが、大腸がんは肝臓に転移していたとまくしたてる。

転移のことは先刻、節子叔母さん自身が電話口で自分でそう口にしたのだったが、

みどり伯母さんも大腸がんを患い、

それはとっくの昔のことですっかり直腸のあたりをすっぽりとってからは再発の様子もない。

大腸だけだったらいいけど、肝臓まで転移とはねへ──、

不安が押し寄せてきて、その塊は喉元を過ぎず腑に落ちない、

家族はやるせなくお互いの顔をなんとなく覗き込むばかりであった。

デッキチェアに背をもたせかけるじ様に節子叔母さんのことを云って聞かせた。

じ様は耳が遠いせいか眼をしばたたかせる、

大方は分かってはいるのだ。


その夜は前にも書いたが、

2階から市川大門の花火が見れると妻が云い、

食事の支度を急きょ2階に運ぶことになった。

じ様もば様も普段ほとんどあがることのない2階に上がり、

夕食とビールで花火を観た。

長いこと花火をじっと見ていたじ様だが、

その間ほとんど何かしゃべるということはなかった。