10,8/6(金)晴れ

蝉鳴くや青桐の木の青の斑に

妻の実家の玄関の左側に古い青桐の木があって、

油蝉がその幹にたかって身体を震わせて鳴いていた。

夏の日差しが斑入りにゆれている。


風立ちぬ田に青嵐赤トンボ

東京発、夏雲が盛大に立ち上がってまぶしいほどの空の青さだったが、

笹子トンネルを潜ると、甲府盆地はすっかり灰色の雲に覆われた。

ときたま雲の合間からシャワーのやうに陽射しが漏れ出る。

甲府南インターから、南アルプス市へと抜ける高架高速道をじゅずに飛ばすと

西風が高速道の幟をはためかす。

左右の田んぼはもう真っ青で、

風が渡っていくと稲の苗が波頭のようにうねって過ぎていく。


風鈴の簾むかうに鳴りにけり

あれは娘がじ様、ば様にプレゼントしたものではないかいな。

座敷と縁側に簾を下げる。


10,8/7(土)晴れ

市川に花火大暑をねぎらひぬ

けふは甲府盆地の市川大門の大花火大会である。

夕方を過ぎて7時ころまで、炎暑は甲府盆地の底ゆに停留したままだった。

じ様が自分の仕事をようやくあきらめるようにして部屋に戻り、

定位置のデッキチェアに背を凭せかけて、

そして、うつらするじ様を見届けると

炎帝はようやく櫛形山の方に去っていったかのようだった。


花火高く上がり生者死者を弔ふ

長岡の花火も多くの死者を弔うものだった。


恋人たち花火の闇に消へゆけり

正弘くんはGFと、健くんは若き妻と、

何万人という恋人たちが花火に出かけたことだらう。


遠花火はや90を超へにけり

じ様は90歳になると云ふ。

花火を2階の窓から見やる横顔からは何も物語りはなく、

ただ無言で花火を見やっているばかりだった。

ビールはコップに一杯だけ。

鯵のマリネ2尾、マリネのサラダ。

御飯は一膳。

自家製の野菜ロールチャーシュー、ホタテと茄子の煮浸し冷もの。

けっこう速いスピードいただいて、コップの冷水を口に、

またずっと黙ったままで花火を見ていた。

9時に、最後の打ち尽くしの大スターマインがあって、

それからしばらくして満足そうに立ち上がって、

2階から杖を突いていつもの1階に下りてきた。


瓜茄子なすび掘りぬき井戸に浮かぶなく

百姓が忙しすぎて、瓜もなすびも採りに畑へ下りることもかなはない。


化粧函は=108円になる。

108円の内訳は、紙製のパック自身と、被うセロファンと、

葡萄の敷物でクッションにもなるスポンジともろもろである。

“ナナ半”はちなみに1パックに巨峰の房を2房入れて、

〆て750~800㌘に仕立て上げる商品で、

その農協での値付けがちょうど=750円(ナナ半)というわけだった。

750円から農協の人件費やらの手数料が引かれる。

そして=108円を引かれると差し引き生産者の手元に入金されるのが=約500円。

昨日は勉義兄さん夫婦で=160パックを出荷した。

収入は=8万円になった。

今日の出荷は同じ=160パック、

しめて2日で=16万円の収入というわけである。


ぶだう問へば手にずっしりと玉三郎

甲府盆地はこの暑さで巨峰の糖度も急激に上がってきているようだ。

特にジベレリン処理(種無し)した巨峰はお盆前の出荷が農協でも推奨される。

南アルプス市のここいらへんは深澤さんとか塩澤さんとか

新津さんとかの名前のお百姓さんが多いが、

みな、この炎熱にもかかわらず一生懸命に棚下に潜り込み、

朝も早よから収穫に精を出す。

勉義兄さんちは朝はいつも4時に起き、

まず自分ちのナス畑の朝採りと出荷を済ませ、

けふはその上妻の実家の巨峰の出荷にと義兄さんは

夫婦共々で軽トラでやって来られたというわけだった。

出かける前に91歳になられるば様を通所介護施設に預けて、

それからようやっとおいでになった。


ここのば様も4時ころに目覚める。

今朝は私も6時ころには眼が覚めたが、

何しろ階下がなんとなくざわめき立つ気配に、寝床にいても少しも落ち着かない、

つい階下へと寝ぼけまなこで降りてくるということになる。

だが、ば様はすでに屋敷の畑に出かけておった。

妻ももう棚下に居て、

どうしますか、朝採りにしますか、

ということになった。

一輪車にコンテナを8箱ばかり積んで、屋敷の葡萄畑へ下りた。


約12㌢の縦長に葡萄の粒は=約36粒、それが基本形である。

その房がつまり、“ナナ半”用というわけである。

房作りで粒抜きを万全にした房は、

今では見事に粒を大きくパンパンにみなぎらせて

立派に黒く棚下に静かにわれわれを待っていた。

うやうやしくまず茎を摘んで鋏で剪ると、手にずっしりと玉三郎、

果汁がこれほどまでにと重く感じられるのである。

鳥の鳴き声も空や樹木や村の屋根屋根にに聞こえてくる。

朝の陽射しが棚下に差し込むと黒い房のぶだうが少し真紅に果液を透明にし、

ほとほとこの顆粒の一粒一粒が生命に躍っているのだなと感心する。

何日もほとんど雨らしき雨が降っていないので、足元の地面は乾いて

一輪車を押していくと、その跡がきれいに模様になった。


人は一人では生きていけない。

そればかりかその上足並みをそろへないと生きていけない。

そしてその足並みをそろへるということが

どうやら社会的集団のはじめの一歩になるやうである。

芸能の一歩とはいつも実人生とは少し離れたところで浮遊する一歩一歩である。

浮遊する精神はすでに現実の一歩とは無関係で自在で己が内に浮遊する。

しかし、演者はときに狂気すれすれに概念を演じたりはするが、

演者自身はいつそれが堪えがたく頓挫するかをまた宿命のように待っている。

女形の玉三郎はその演じる姿態と化粧と指の一本に至るまでときに陰惨に隈どられたりする。

しかし、演じるというものからふわっと抜け出てきた玉三郎は、

圓通寺の濡れ縁によこ座りすると、

寺の塀の向こうに続く緑したたる借景のパースペクティブに自分をまぎれさせて、

確かにひときわまたぬれぬれと美の一つになっていた。


おそらくはあと数年で彼方へと永遠の一歩を踏み出すであろう(に)、

いつもならとっとと寝所に杖を引いて行ってしまうじ様は

めずらしく9時になってTVを食い入るように見入っている。

それが歌舞伎の女形の天才、玉三郎であった。

その「きれいになりたい」演者の玉三郎を

90の年老いたじ様がじっとそのドキュメントを眼で追っていく。

「今以上、これ以上に・・・」

とミュージシャンの玉置浩二さんが玉三郎さんにハーモニーする。

演者は年老いても美に取り付かれたものは

その何がしかを伝統というものの中に彫琢して次代に残していくが、

それは 才能のある一部の人たちだけであって、

残りのほとんどの人たちは死屍累々と討ち死にして

埃の中に溶けいってゆくもののやうだ。

ましてや生活者としての巷間や村落に暮すものにとって、

演じるということはほぼ慣性の法則のことで、

末期は神経が一本また一本と抜かれてゆくようで、

それは自分自身にも当てはまるのだが、

傍目に見てもうらさみしい。


われわれは何を完了、貫徹しようとしているのだろうか。

初めから負け戦にもかかわらず──

と昔から云われている。

いつだってその発展途上で膨大な死のもろもろの一点で不意に押し切られる。

私は妻の実家に来て、老人たちの人生の決算を、

あるいはツケのやうなものを手伝いに来ている。

いまだに朝採りが何がしのことなのかさっぱり分からないままにだ。

老人が「むにゃ、むにゃ」と云へば次の瞬間それはそのとおりのことだと思ひ、

わたしはもはや意志のない何者かであるやうに世間に足並みを揃える。

苦い思いは演者にはいつだってつきものなのだ、とでもいうやうに。

これは惻隠するもののなかにある不可思議な引力なのだらうか。


8/8日(日)天気は曇り──

はまず朝飯前に農協に出荷へ行くことから始まる。

炎暑から少し解放されて、軽トラを村道に飛ばす窓からは涼しい風が気持ちがいい。

連日の暑さから逃れて、朝の李畑とか、葡萄畑も葉の緑が色を増して見えるやうだ。

化粧パックにととのえた“ナナ半”が1箱に=8パック。

それを20ケース、都合160パックを敷地の一角にケースで列にして積み上げた。

次には別のコーナーへと回って、“5㌔コンテナ”

(1房=500㌘近辺で1箱を=5.6~6㌔㌘に)を7箱を、

選別をしている組合の人に聞いて、直接ローラーの上に乗っけた。

それからさらに軽トラを敷地内に回して、

商品としてはランク外の個撰の場所に行って停車した。

(組合保証の「共撰」ではなく保証はなく市場との直接卸になる「個撰」)

われわれの市場は静岡の沼津になる。

400㌘に詰めたパックを1箱に=10パック、5箱を沼津のコーナーに積み上げた。

またぐるっと回って納品伝票を組合事務所の外に置かれている引き出しに収めて、

(葡萄とか李とか桃とか引出に分かれている)

それから昨日の納品した商品のチェック伝票を綴じ込みから引き抜いた。

昨日出荷した“ナナ半”=160パックはすべて“秀”となっていた。


妻は朝食の準備もしなければならないのだが、

じ様はすでに自分の体を前に運ぶだけでも精いっぱい、

去年はわたしとば様で早朝の農協への出荷を果たしたものだが、

今年になったらめっきりいろいろなことに自信をなくしたり、

意気粗相したば様は私と妻にその役割をなんとはなしに願った。

チェック伝票を運転席の窓側にのせて、

それから私たちは組合の購買部に回った。


購買部の前は道路に面していて、前面はガソリンスタンドを兼ねていた。

普段でもあんまり車の止まっているのは見かけたことはないが、

今日は日曜日ということでいっそうがらんとしている。

ドアを開けてはいると朝からエアコンがぎんぎんと効いている。

緑色したつなぎの背の高い老人に近い感じの人が

書類だらけの机の向こうで鼻眼がねでこちらを見やった。


ば様の意気粗相したのは、たとえばまずパッケージの注文の間違いだったりした。

李の“貴陽”の出荷パッケージはすでに作業場にあったものの、

また注文してしまったのだった。

じ様や手伝いに来ている長女の娘にもなじられる。

引き取ってくれるかどうか分からないがとりあえず持ち運んで聞いてみましょう、

ということになった。

つなぎのおじさんは鼻眼がねでパソコンに品物を打ち込んでいく。

注文はほかにもあって、“ナナ半”を3セット

(1セット=80でパック、セロファン、スポンジをおのおの含む)、

計で=240パック、値段にしてこれだけで2万円近くした。

打ち込むたびに納品書が印刷機からはじき出されてゆく。

貴陽の間違い伝票はマイナス伝票で打ち直してくれた。