自動車

1969,5/26日、東名高速開通、最後の御殿場―大井松田間が開通した。

総費用=3800億円以上。

1958,3/19日松永安左エ門の私設シンクタンク産業計画会議が

「東京-神戸間高速自動車道路」の建設を政府に勧告。

ハイウェイが生み出すものすごい消費スタイル、国民全体のレジャーブームへと火をつけた。


米国は移民国家であるゆえに共和をその憲法に戴き、

そして毎年のように人口が増加の一途をたどっているから需要がたえず生まれる。

しかしそれは同時に人口の雇用を満たさなければならないということにもなる。

言語水準の違う人間、あるいは宗教や文化的背景の違う人間に

同等にかつ効率的に働いてもらうためにはどうしたらいいか。

アメリカの産業のモジュラー・タイプ(はめ込み、積み上げ方式)がここに発生する。

部品の加工精度を高め、組み立ての調整作業をなくす「互換製品」に立脚した。

もう一つはT型フォードの時代からの伝統的スタイル、

つまりトラック型と呼ばれるもので、

車台(シャシー)と車体(ボディ)が明確に機能分担するモジュラー型であった。

ラインの中での作業の単純化と標準化「分業重視と調整回避」の製造思想が出来上がってくる。

(藤本隆宏・東京大学教授09,5/22)


1981年<日本製乗用車の対米輸出自主規制>事実上の輸入規制が成立。

北米の大型車の延命が続き、

さらに、1980-90年代にベビーブーム世代=7000万人標準世帯形成期で、

大型ミニバンの需要が高かった。


これらの追い風が翳りを見せ始めるころ、

今度は金融バブルが発生、無理な借金で高額・大型車を買う消費者が増えた。

一度の成功が米国の長期経営判断を誤まらせた。

先送り、延命の下地ができあがったのである。


⇒金融子会社が金融バブルに手を染めて強引な販売に走り、墓穴を掘った。

⇒合併会社の混乱など経営ミス。

⇒年金・医療費など、レガシーコストなどの労務費の過大負担など。


日本企業の独特の組織能力長期雇用年功序列、長期取引を背景に、

設計・生産現場の多くが、多能工のチームワークによる統合型組織能力を構築しており、

小型車はそれに相性が良かった。

日本型生産とはインテグラル(擦り合わせ型)で、

たとえば燃費を良くするためには車体車台一体構造

鋼板で車体剛性を出すモノコック・ボディを発展させた。


日本製品開生産性に関する統合型組織能力に対して

米国は、金融工学M&A財務に比重をかけ過ぎた。

アメリカの根っこにあるのはどうしてもあらゆる意味での“即戦力”なのである。

「ケイレツ」「カンバン」などのスタイルは原価にも寄与した。


クレジット・ローン社会のアメリカでは人々の多くは自動車もローンで購入。

「たった一度の返済ミスなのに車のエンジンがかからなくなった」

GPS(全地球測位システム)の活用で全米の車を容易に追跡できる。

返済が滞れば、数100マイル離れた場所にある車でも、

通信を使ってエンジンをめることができる。

ローンの担保である自動車の差し押さえも容易になる。

ローンの延滞率が以前の約29%から約7%まで下がった。

アメリカは広い。車が必要なガソリンに浮ぶ社会である。

それに、ローン担保証券など、クレジット社会が、

低所得者層向けにも強引な自動車セールを可能にした。

「ディーラーはまるで独裁者のようだ」。

エンジン停止に追い込まれ、車が利用できなくなった借り手の不満は、

インターネットを飛び交うようになった。


アメリカは売れる車を、必要な車を製造するのではなく、

どのようにしたら売れるのか、金融工学とセールスにのみ血道をあげた結果である。