《外為コサックダンスレポート》I will dance cossack
when winning a great VICTORY.
2009年4月16日
(某ディーラーの独り言)
ゴールドマン・サックスの決算(1~3月期)が米大手金融機関のトップバッターとして発表された。市場予想の約2倍の利益となり、マーケットは楽観ムードが支配した→ドル/円、クロス/円上昇→翌日調整売りが入る。かように、今のマーケットは上がり過ぎには調整が入る→下がり過ぎにも調整が入るという分かりやすさがイイ。しかし、昨日、夕方からのドル/円、クロス/円の急激な上昇には一寸ついていけなかった。残念、無念!→「リスク選考の円売り・リスク回避の円買い」→海外と東京は全く逆の展開。
昨日のベージュブック(米地区連銀経済報告書)は「米経済は縮小ないし、低迷しているが住宅市場は不振ながら一部で安定の兆しあり」というものだったが住宅市場の安定といっても低水準での安定だろうから住宅市場活気復活にはまだまだほど遠いと思う。
マネー資本主義の主役として批判の的となっている「投資銀行」の話。
「投資銀行」はリーマンショックを起こした当事者でもある。
かつて企業への財務アドバイザー部門が中心だったが1970年以降の規制緩和と金融資本の膨張を背景に債券市場という新たな場で、次々と「新手の金融商品や取引手法」を編み出し、金融の枠組みそのものを変えていき、ソロモン・ブラザーズをはじめ、伝説的な企業が攻防を繰り返しながら、アメリカ経済、ひいては世界経済を牽引するスキームを作り上げていったのが「投資銀行」そのものだ。そして「超レバレッジ」「莫大な成功報酬」「リスク管理の限界」など、サブプライム・ローンにつながる巨大なリスクを激しい競争を繰り広げる中で自ら抱え込んでいったのである。
1970年代米国。株式委託手数料の自由化は証券会社に、「LTV」ローンを増やす=バリューに。
借入金をテコに大きく投資するレバレッジ経営の道を開き、いまのウォール街の原型を作った。
マネー・マーケット・ファンド(MMF)に決済機能を認め、
個人マネーの預金から資本市場への移行を促した。
1971年に公社債投資信託として誕生。
残高は伸び悩んだが1977年にメリルリンチがMMFに決済機能を付与
(証券取引、預かり金運用、証券担保融資、小切手・カード決済等の総合サービス)
→決済目的で保有されるようになっていった。MMFから得られる金利が魅力的+決済機能。
資産管理・運用と振り替え機能(買い物、公共料金)など「生活口座」も。
→MMFの登場と銀行預金の衰退。
1981年レーガン政権は、「大きな政府」から「小さな政府」への転換を掲げ、
規制緩和を徹底して進めた。
インフレ抑制など「市場管理」で名を上げたポール・ボルカーが追われ、
親市場派のアラン・グリーンスパンがFRB議長に。
管理規制「間接金融」から→市場主義「直接金融」へと。
09,9/17日、米リザーブ・マネジメントが運用するMMF(マネー・マーケット・ファンド)が
リーマン債を組み入れていたため元本を割った。
安全神話が崩れ、個人が慌てた。預金と同じ感覚の安全資産に穴が開く。
全米で合計=3兆㌦を超えるMMFに、解約が殺到した。
MMFは米企業のコマーシャルペーパー(CP)の=4割を保有する。
CP市場から買い手が消え、企業の資金繰りが逼迫する起点となる。
最後は業界ごと消滅してしまったのが「投資銀行」である。しかし、近い将来、一定の規制の中での「投資銀行」は復活する可能性は十分にある。
数々のヘッジファンドの産みの親となり、歴代アメリカ財務長官を輩出、バブル経済のけん引力となって
今月で毎日視聴していた「経済専門チャンネルのブルーム・バーグ」が放送終了となる。これも世界的経済不況の影響なのかしらん?→投資銀行消滅とかで視聴者の激減か?いろんなところにリセッション(景気後退)の影響は波及するもんだね。
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