課外活動(クラブ活動)の指導について、できるだけ具体的に書いてみようと思う。
学生時代の思い出を振り返ると、良くも悪くもクラブ活動がメインとなる人が多いのではないかと思う。
もちろん、教職員にとってもクラブ指導は生徒たちとの関係を深めていくにおいて重要な仕事である。
その一方で、教職員の私生活を圧迫していることは、報道によって知るところだろう。
ひとことでクラブ活動といっても、さまざまある。
個人で頑張るクラブもあれば、団体で頑張るクラブもある。
毎日活動するクラブもあれば、週に数回程度の活動クラブもある。
そして対外的な活動をするクラブもあれば、校内で活動が完結するクラブもある。
確認しておくが学校生活においてクラブ活動は強制ではない。
そして大切なことだが、それぞれの活動に対して専門的に精通した教職員がいるわけではない。
私は学生の頃、文化系クラブに所属しているのだが、
最初に赴任した学校では空手道部に配属された。
当然、指導することはできない。
翌年、サッカー部に配属された。
もちろん、指導することはできない。
次に配属されたのはテニス部である。
これも指導することはできない。
ここにあげたクラブ活動は当然日曜日には練習試合や公式戦があり、
生徒たちの引率のため、全国各地に出張があった。
生徒たちの夏休み期間には一週間ほどの合宿があり、宿泊をともなう出張も当たり前のようにあった。
サッカー部に所属していた頃、メイン顧問の横について放課後に練習を
ただ「眺めている」だけだった。
専門的な指導ができないのなら、職員室で別の仕事をしていればいいのではないか。とさえ思えるのだが、生徒が万が一活動中に怪我をした場合にそなえて、現場にいることが要求されるのである。
こうしたことにより、日々の放課後の時間に行うべき採点や授業準備が圧迫され、
残業を余儀なくされることが多かった。
もちろん、専門的な指導を行うクラブに配属され、副顧問ではなく主顧問の肩書になることもあるが、その場合は当然クラブ指導をするため、日常業務は後回しになる。
それによって、年間の残業時間はうなぎのぼりになっていくのである。
また、何よりもつらかったのは、これほどまでに日常業務を圧迫し、一年間携わってきたにもかかわらず年度替わりの人事異動で「来年度はこのクラブね」と、いとも簡単に担当クラブ顧問が変更されることである。
複数年クラブ顧問を担当したのは野球部である。
野球部の顧問は少し特殊であった。
公式戦になると、監督補佐としてベンチ入りするのはもちろんなのだが、自分の学校が試合をしていない時は、別の学校の試合の審判をしなければならない。
とはいえ、競技者としての経験もなければ細かいルールなども知らないのは当然のため、
年度が始まるとすぐに「審判講習会」へ参加し、ルールの勉強会に参加しなければならなかった。
その講習会では、主審と塁審の練習をする。
ストライク、ボール、アウト、セーフの判断を実践形式で学ぶのだ。
主審のときにはマスクをつけ、キャッチャーの後ろに立ち、
実際に投げられた球にたいしてジャッジをするのだ。
全くの素人には何が何だかわからない。
見様見真似でやるしかない。
ある試合で実践で審判デビューをしたが、それはもう生きた心地はしなかった。
一体私は何をしているのだろう。
私は教科を教えることが仕事だったはずなのに。
なんでここで野球の主審をしているんのだろうか。という具合である。
もちろん、ここに金銭は発生しない。
教職員の日常業務の一つとして、給与に含まれているのである。
もちろん、練習や試合のことだけではない。
当たり前だがクラブにはその学校のすべての学年の生徒が在籍している。
複数のクラス、複数の学年における人間関係のトラブルは、担任として経験しているクラスの揉め事とはわけが違う。
日頃、ホームルームや授業で顔を合わせることのない、「クラブでしか知らない生徒」の人間関係のトラブルにも対処しなければならないのである。
乱暴な言い方ではあるが、性格もしっかりと掴めていない生徒のことを、どういう家庭環境かわからない保護者に電話をして、事情を説明しなければならないこともある。
「あの子は試合に出れているのに、なぜウチの子は試合に出れないのか」という保護者からの意見にも対応しなければならないのである。
当然、監督(主顧問)の考えとしては「試合は勝ちに行く」であり、勝つためにチームの編成を考えているが、保護者からするとクラブ活動はプロ集団ではない。「勝ちよりも楽しさ」という考えが存在している。
クラブ活動や活動方針に対して理解のある保護者もいれば、そうでない保護者もいる。
熱心なのはいいことだが、活動方針に口を出してくる保護者もいる。
そんな経験を数年経たとしても、年度替わりの人事異動で
「来年は囲碁将棋部を頼むよ」と言われるのだ。
こうしたクラブ顧問の担当手当ては、勤務している学校にもよるが、月額3000〜5000円程度だった。