マチュピチュへの道程(ザックリ)

 部屋の片隅にすっかり埋もれていたマチュピチュに旅行した時の写真が出てきましたので紹介しようと思います。

 わざわざマチュピチュまで行って名跡でもない石ころを撮影してきたKIJIの気概を買っていただきたい。(笑

 

 マチュピチュ観光へのルートはいくつかありますが、私の場合はクスコから列車に乗ってマチュピチュ駅に向かう工程でした。

(クスコの外壁 壁の下段は遺跡を使用している)

 

(この列車でクスコからマチュピチュまで向かいます)

 

(マチュピチュ駅に着きます 土産雑貨店がたくさん)

 

(マチュピチュ村の入口)

 

(村から遺跡に向かうバスに乗り込みます)

 

(遺跡は山の上なので、いろは坂みたいに登ります)

 

(遺跡の入口に着きました)

 

(こんな感じで鬼のトレッキングがはじまるわけですね)

 

 

  巨石の積み方の違い

 

 遺跡を構成する石には大きく3種類の石が見て取れます。

 

1.かなり古そうな巨石

 

(謎に鎮座する巨石)

 

(無造作に置いてありますが明らかに鏡石です)

 

(遺跡の上座に居座る謎の巨石)

 

2.洗練された超古代の積み石

 

(有名なインカ石 いったいどうやって積んだのか)

 

(巨石が無駄なく積まれている こっちのが大変なのに)

 

(この切り張り感はもはや芸術)

 

3.我々でも頑張れば積めそうな積み石

 

(手頃な岩を積んだ いわゆる石造建築)

 

(謎の巨石とのミックス)

 

(右手前はインカ石、向こうは立石・ドルメンとのミックス積石)

 

 

  古代日本と中南米遺跡の謎の巨石比較

 

 ところで日本の縄文・弥生文化と中南米文化の遺物が似てるという見解がちらほらあります。例えばこちら

 

(佐賀県吉野ケ里遺跡の竪穴式住居復元)

 

(マチュピチュ遺跡入口近くにある通称見張り小屋)

 

(藁ぶき屋根で、なんとなく白川郷的な感じ)

 

 そんな中で日本の奈良県飛鳥地方には現在でも意味不明な謎の巨石群が存在します。詳細はWikipedia:飛鳥の石造物を参照ください。

 

 それでは私KIJIの独断と偏見で日本と中南米の文化はルーツが同じではないのか?と感じる石造構造物を見ていきましょう。

 

 

猿石(明日香村下田平)

 

オルメカ文明の人頭石

オルメカはインカではなく中南米ですが、造形的に近いものを感じます。

 

 

 

二面石(明日香村橘)

 

マヤ文字の碑文

これもマヤ文明ですが、マヤ文字は漢字と同じく部首とツクリの二面構成です。

しかも一方には顔が描かれていて何となくこれの大きいバージョンが飛鳥の二面石なのでは?

 

 

熊本県矢岳巨石群(白嶽森林公園)

 

マチュピチュ頂上付近にある石切り場

日本各地にある謎の巨石群はその実、石切り場なのではないでしょうか。

(石切り場。太陽列石にも見えなくもない)

 

酒船石(明日香村岡)

 

マチュピチュ登山路の見捨てられた巨石。

これを見た瞬間に酒船石を思い出しました。

 

 

鬼の俎(明日香村野口・平田)

 

これもマチュピチュ頂上付近の見捨てられた巨石。

造形は鬼の俎そのもの。古代の祭壇跡または腰掛椅子じゃないでしょうか。

 

 

鬼の雪隠(明日香村野口・平田)

 

マチュピチュ頂上付近の玉座。

石の壁に囲まれ椅子のような形状です。

 

 

亀石(明日香村川原)

 

マチュピチュ・コンドルの神殿の中心に置かれた謎の石。

大きな石の先端に造形物が来る模様は亀石に似ています。

 

もう一つ。登山路に置かれた謎の巨石。

全体のイメージとしてはこちらの方が亀石っぽかったです。

亀石はこれらの巨石を後世の人が加工したのかもしれません。

 

 

亀形石造物

 

マチュピチュの湧水池、もしくは貯水池

マチュピチュでは水に絡んだ造形物は石がシャープに加工されています。

 

 

出水酒船石

 

遺跡内を流れる水路。

驚いたことにマチュピチュでは水道がまだ生きています。

つまりいつでも都市が復活できるということ。

 

 

益田岩船(橿原市白橿町)

 

マチュピチュ内の手洗い場?

キレッキレの石の造形は水に関したものではないでしょうか?

 

 

立部の立石

 

観光路から外れた山の端に立石(メンヒル)が立っていました。

もちろん私KIJIは見逃しません。

 

立石や方位石、鏡石などは葦嶽山などの日本のピラミッドにも見られる共通項です。

その視点でマチュピチュ遺跡を見ていくとちゃんと見つかりました。誰も気が付きませんが。。。

(方位石・マチュピチュ)

 

(鏡石・マチュピチュ 現地では月の神殿)

 

なにしろマチュピチュの神殿そのものがピラミッド構造でしたから。

 

このようなわけでマチュピチュ遺跡は古代のそれも超古代の日本の文明と接点があるのは明らかです。

 

 しかもマチュピチュ遺跡の中でも最も古いタイプの巨石群が日本の飛鳥地方のものと類似性を持っているということは超古代に同一の文明があったということ。

 

ただし、あまりにも古すぎて一体何万年前の話なのか?

石器時代と呼ばれている時代はもしかしてとんでもない超文明を持っていたのかもしれません。

という話。

 

 

  おまけ

マニアックな石の写真ばかりなので食傷気味でしょう。それっぽい観光写真もお付けしておきます。

 

 

(神殿)

 

(リャマだったかアルパカだったか?観光客用に飼ってます)

 

(まあ有名な感じ 中央におわす小鳥は人を怖がりません)

 

(マチュピチュ観光バスの切符売り場の姉さん)

 

(首都リマのレストランの娘さん)

 

以上。