息子がまた山に登った。



今回は前回よりさらにパワーアップして


往復6時間の山だった。





前日息子は緊張して眠れなかった。


私は心配になって、隣で寝た。


すると安心して眠りについた。






翌日無事登山を終えた。


かなり命懸けだったようで


崖を這いつくばって登ったとのこと。



登頂した時はアドレナリンが


出まくったらしい。





私はとても嬉しかった。





しかしその後3日間ほど


心拍数が上がりっぱなしで


本人はずっと心臓を触っていた。




涙ぐんでいる。


心臓の病気なのでは?と。






確かに心臓が速い。


またまた心配になって調べた。


急な激しすぎる運動で


自律神経が不安定になったのだろう。





それを息子に伝えて


数日ゆっくりしていれば


元に戻るだろうと教えた。





それで安心したかはわからないが


心臓の病気ではない、と


思ったみたいだ。






今は段々元に戻りつつあり、


息子も心臓に手を当てなくなった。


きっと気にし過ぎで


速くなる面もあると思うと


自己分析もしていた。





私はちょっと恐れていた。


ウイルスへの不安のときのように


心臓がずっと気になり続けるのでは?と。





でも今のところ大丈夫だ。






今回、息子の不安に寄り添っていたのか


私の不安を消すために


やっていたのかはわからない。


多分どちらもあると思う。





自分の不安を消したいという気持ちを


ゼロにするのは難しいだろう。


でも息子の不安を受け止めたいという


気持ちもあったから、


そのような声かけをしようとしていた。








息子は小さい頃から


不安が強い子だった。





それが昔の私には面倒だった。


そんなに躊躇せずに

早くやってしまえばいいのに、と。





見ていてイライラした。





私も不安が強いくせに、


いや、自分も強いからか、


不安がって


なかなか手をつけない息子の姿に


イライラした。






なぜ公園に飛び込んでいかないのか、


なぜ遊具で遊ばないのか。






いつまでも不安を吐露し続ける息子。


いつまで聞けばいいの?



もうイヤになる。





何も考えずにすぐに


無邪気に楽しそうに取り組む


よその子どもたちが羨ましかった。





今ならわかる。


今よりも先を見るタイプだから、


先が見えてしまうから


不安なのだ。





本当はそれでいいのだ。


立派な能力だから。





私は不安を受け止めてあげれば


よかったのだ。





私のすべきことは


それだけだったのだ。





私がしたことは


息子の不安を嫌い、


背中を押しまくることだった。






今、私もゆったりした気持ちで


息子の不安を見守れる。





どんなに不安が大きくても


そうなんだ、と思える。





事象が起きた時


ただ、そうなんだ、と思えるように


なってきたのは、とても強い。